リフレ派はなぜ終了したのか

池田 信夫

Czdif9-VEAAtZR9文藝春秋1月号の浜田宏一「『アベノミクス』私は考え直した」というリフレ派からの「転向宣言」が話題を呼んでいる。朝日新聞も「アベノミクスよ、どこへ 理論的支柱の『教祖』が変節」とからかっている。リフレ派の教祖が、その終了を認めたわけだ。

これは奇妙な現象にみえるかもしれないが、今年のFRBのジャクソンホール会議で発表されたシムズの論文は、それほど衝撃的だった。これはインフレは貨幣的な現象ではないという事実を証明したからだ。

その論理は単純である。たとえば日本でマネタリーベースを2倍以上にしても物価が上がらないのは、政府が財政健全化のために単年度の財政赤字を縮小しているからだ。財政赤字は経済全体の超過需要なので、それが大きくなると需給ギャップが拡大して物価が上がる。

しかし日本のように大きな政府債務を抱えていると、政府は「財政赤字を減らす」といわざるをえない。人々は財政赤字が減って需給ギャップが縮小すると予想するので、物価は上がらず、財政デフレが起こる。これが世界的に低金利とデフレが続く原因だ。

だから物価を上げるには、この逆をやればいい。政府が「財政健全化はやめた」と宣言して、大幅な減税をするのだ。たとえば消費税を5%に下げると財政赤字が拡大して、大幅な超過需要が起こるので、インフレが起こる――というのがシムズのFTPL(物価水準の財政理論)である。

これは数学的にはトートロジーだが、問題はその仮定が現実に当てはまるかということだ。FTPLはリカードの中立命題の一般化なので、長期的には均衡財政が実現する(ネズミ講の非存在)という条件が必要だ。それが自分と子孫の世代で実現すると予想すると財政政策は無効だが、将来世代に先送りできると財政政策は有効になる。

だから「中立命題は成り立たないがFTPLは成り立つ」という浜田氏の話は矛盾している。FTPLも長期的には均衡財政を仮定しているので、彼のいうネズミ講を永遠に続けることはできない。問題は、ネズミ講がいつまで続けられるかだ。

その答も単純だ。投資家が続けられると予想する限り続けられる。その上限は国家の支払い能力だが、これは将来の徴税能力だから、日本政府が消費税率を30%以上に上げることができると多くの人が信じていれば、財政赤字で金利は上がらず、インフレも起こらない。

しかし将来の徴税能力というのは主観的な予想だ。「果てしなく増税を先送りする自民党政権が消費税率を30%まで上げることはできない」と予想する投資家が増えると、国債が売られて金利が上がり、財政インフレが起こる。普通のインフレは金利を上げると収まるが、金利が上がると財政赤字は増えるので、財政インフレは金利を上げると加速する

日本でインフレにするには、消費税率を下げて財政赤字を増やすしかないとシムズは提言しているが、これはインフレで借金を踏み倒す実質債務のデフォルトである。2%程度のインフレでは財政や社会保障の危機は解決できないので、やるなら5%ぐらいのインフレを10年以上続ける必要がある。

しかしそれが5%で止まる保証はない。インフレで資本の海外逃避が起こると金利が上がり、インフレ・スパイラルに入るおそれが強い。財政インフレがコントロールできるかどうかはわからないが、それが残された唯一の選択肢かもしれない。少なくとも将来世代に莫大な政府債務を残すより社会的には公正だ。

いずれにせよ、リフレもアベノミクスも終わった。金利上昇が遠くない将来に起こることは確実だが、これは日銀だけではコントロールできない。インフレは財政的な現象だという前提で、マクロ経済政策を考え直す必要がある。