多少ハードルが高いのは仕方がないが、ハードルを高くし過ぎてしまうと、伸びる可能性がある人の伸びる芽を摘んでしまうことがある。
将来性のある若い方々を本当に育てるつもりがあるのなら、ほどほどの高さにされていた方がいい。
希望の塾の塾生には、既に完成品のレベルまで達している人もいるだろうが、今の日本では鉦や太鼓を叩いて探し回ってもそこまでの域に達した人を見つけるのは難しい。
今は大して光っていないが、いずれは光り輝く資質をたっぷり持っている人からチャンスを奪わないようにする工夫が必要ではないだろうか。
可塑性に富んだ人、伸びしろがたっぷりある人、目がキラキラ輝いていて、どんなことも厭わないで率先して取り組む人、志が高くて一生懸命努力する人、そういう人は磨けば光る。
しかし、試験のハードルを高くすると、どうしてもテストにだけは強い試験秀才だけが残って、本当に日本の将来を託すべき有用人材を喪ってしまう虞がある。
今は、若い人を暖かく見守り、育てることが出来る人が求められているはずである。
教育は、英語でEDUCATION,ドイツ語でERZIEHUNGである。
若い方々の中に眠っている力を引き出す、これこそが希望の塾に求められていることだろう。
3000人の希望を打ち砕くことがないように、特別の工夫が求められているようである。
希望の塾の塾生の間で、悲鳴が上がっている。
多くの塾生にとって、第2段階に進むためのテストのハードルが少々高過ぎるようだ。
候補者公募や候補者の選考ならある程度ハードルを高くしてもいいが、今はまだ教育の段階。
あまり無理はされないことだ。
やさし過ぎてはいけないが、難し過ぎてもいけない。
希望の塾には、いい教師に恵まれれば、眠っている才能を開花させる可能性がある若い人が沢山集まっている、ということをくれぐれも大事にされた方がいい。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2016年12月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。