著作権法をガラポンに?

中村 伊知哉
シンポ「次世代の知財システム構築に向けて」@虎ノ門。

ぼくが座長となって政府知財本部で開かれていた次世代知財システム委員会の続編を東大喜連川さん、福井健策弁護士、瀬尾太一さん、リクルート石山洸さんとともに開催しました。モデレータを務めました。

委員会の柱は3つでした。

1) 柔軟な著作権システム
2) AI等の新情報財への対応
3) 国境を越える知財侵害対応

その結果は知財計画2016に反映されましたが、実にスリリングな議論でした。

シンポではまず柔軟な著作権システムについて議論しました。権利制限、集中管理、裁定精度、報酬請求権を組み合わせるグラデーションをもった取組という方向性をどうみるか。

福井さんは、権利制限とライセンスを組み合わせる議論は画期的としつつ、孤児著作物の処理のため、裁定+拡大集中許諾に期待するとのこと。瀬尾さんはアメリカ型フェアユースに反対しつつ、権利と利用の2元論じゃ立ちいかないと指摘。

権利制限、フェアユース規定は既に文化庁の審議会に場を移し、議論が進んでいます。ぼくも参加しています。次期国会に法案を出すよう知財計画は求めているので、どこかに落とし込まれましょう。

ただぼくは、それ以上に、知財計画に書かれた「ガイドラインを作る」という約束に注目しています。

法律は大雑把にしか書かれず、結局その解釈や運用が不透明で、企業リスクが残るという点が問題。じゃその解釈をガイドラインに落とし込みましょうよ。その通説を政府、学者、裁判官、企業、弁護士などで作ればいいじゃないですか。けっこう透明になるはず。

喜連川さんは、アメリカが旧来の企業からIT企業に力がシフトする中で日本は硬直的だとし、ゲームを変えられる国になるよう強く指摘しました。それは著作権だけではなく、全ジャンルに共通する課題です。

福井さん・瀬尾さんが共に主張するのはアーカイブの重要性。孤児著作物を巡り欧米がしのぎを削る中で、日本もアーカイブ戦略に注力すべき。権利処理のコストを大幅に下げる必要があります。裁定補償金の措置など、スグにやるべき課題が見えていますね。

喜連川さんは突然、「オボカタ問題を解く制度を!」と言い始めました。コピー論文をチェックするサービスが合法なのは当然だろう、ところがそのサービスを日本はアメリカから買っている、なんたることだ、と。オボカタさん、恐るべし。

小宮山・元東大総長が進めた「知の構造化」は、東大の全シラバスを見ても何を教えているかがわからん、わかるようにする、というものだった。だから著作権法も読んでわかるようにしろ、という指摘も喜連川さんから。

そうなんです。権利制限や集中管理といった課題は2020年あたりには決着しておく。問題はその次世代の制度。1971年にできた現著作権法を50年ぶりに大改正する。これに手をつけたいですね。

福井さんは、1億総発信社会となり、著作権法がお茶の間法になった。わかりやすくスリム化せよ、と説きます。そして、オプトインの仕組みをオプトアウトに変え、著作物を使えるのが基本、という仕組みにすることを示唆しました。

瀬尾さんは、音楽のようにきちんと仕組みが動いている分野があることを示しつつ、著作物そのものが多様化する中で、文芸作品やデータベースのような異質なものを一括りで扱うことの問題を指摘しました。いずれにしろ限界、ですね。

文化審議会の委員を務める著作権制度を専門とする方々からは、制度をガラポンにするという議論は出てこないかもしれません。恐れを知らずそれを唱え、道筋をつけるのが知財本部の役目でしょう。本気でこれに取り組む時期だとぼくも思います。

10年前の通信・放送融合論議でぼくは、10本以上あった関連法を1本化し、通信放送タテ割りの制度をレイヤ別ヨコ割りに再編する「情報通信法」を主張、ボコボコにされましたが、4年の議論を経てほぼその方向で再編され、1本化はできませんでしたが4本まで法律が減りました。

それをなしとげたのはメディア環境の変化という客観情勢と総務省事務方の情熱。著作権制度も客観情勢は揃っているので、事務方が死ぬ気になれば、できましょう。

やりましょう。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。