デモクラシーは原点に帰る:『ポピュリズムとは何か』

池田 信夫


1月からのアゴラ政経塾では「ポピュリズム」をテーマにするが、その定義はいろいろある。著者の答は、立憲主義なきデモクラシーだということだ。それは選挙で投票した人の支持を得るという意味ではデモクラシーだが、権力の分立や法の支配といったチェックを否定する独裁的な傾向をもつ。

その原型は中南米にあるという。1946年にアルゼンチン大統領になったペロンは、軍人出身だったが「労働者保護」の政策を取り、社会保障を手厚くしたが反対派は投獄した。こういう独裁的な温情主義で人気は高かったが、多くの企業を国有化したため、投資が減少して経済が悪化した。これを対外債務で埋めたので財政が破綻し、クーデタで政権を追われた。

中南米でポピュリズムが出てきた最大の原因は、極端な所得格差である。ごく一部の特権階級が大部分の富を独占しているという不満は強く、それを強制的な再分配で「是正」しようという独裁政治は、その後も中南米のいろいろな国で繰り返された。しかし結果的には彼らが新しい特権階級になり、格差はさらに拡大した。

これに対して北米では、合衆国憲法にみられるように立憲主義が強く、権力が集中しない制度設計が行なわれたので、アメリカ人民党のようなポピュリズムは大きな勢力にならなかった。トランプの主張はポピュリストと似ているが、大統領の法的権限は弱いので、よくも悪くもアメリカの政治はそれほど大きくは変わらないだろう。

他方ヨーロッパでは、冷戦が終わると社会主義への防波堤としての保守政党が存在意義を失って腐敗への批判が強まり、社民政党の社会保障による「弱者の特権」に大衆の不満が高まった。これが2000年以降の移民や難民の増大で排外主義と結びつき、フランス国民戦線やオランダの自由党、ベルギーのVBのようなポピュリズム政党が躍進した。

だからポピュリズムは一時的な現象ではない、と著者はいう。それはエリートが政治を独占してきた「寡頭政治」を否定し、デモクラシーの原点に近づける動きだ。大衆の流動性が高まって中間集団の拘束力が弱まった時代に、政治が古代アテネのような直接民主制に近づくことは自然なので、この傾向は当分は逆転しないだろう。

日本では中間集団が強いので典型的なポピュリズムはほとんどみられないが、橋下徹氏は「世界標準」のポピュリストだ。日本でこういうタイプの政治家が国家権力を取ることは考えにくいので、安倍政権のような事なかれ主義に対する「刺激」としては悪くない。