『企業家倶楽部』2016年6月号に、「ルールや制限のあるお蔭で個性が生み出される/文字職人 杉浦誠司」という記事がありました。
国語辞書を見ますと、個性とは「個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー」と書かれていますが、私は制限やルールとその人の文中に表れる個性とは本来無関係であるように思います。
つまり文字で述べるとすれば、長々した文中にその人の「魅力、アイデア、個性が生み出され、発揮される」ケースもありましょう。
尤も、短い中にツボを押さえ出来るだけ人に訴えるものを作文しようとしますと、大変な推敲のエネルギーが必要で文章力等を練ることは出来ますが、之は個性というものとは違う話だと思います。
字数制限が無い場合だらだらと書いてしまい、時として本質的なものを抜かしてしまったり、ピンぼけになってしまうことは多々あります。そういう意味では最も凝縮された形が、例えば俳句というものでしょう。
五・七・五という3句17音の枠内で如何にエッセンスだけを抽出し季節感も入れて、その人のその時得た状況をビビッドなものとして感情移入して行くかが問われるわけで、表現力等を磨くには持って来いと言えましょう。
あるいは、片言隻句という「ほんのちょっとした言葉」がありますが、例えば「光陰矢の如し」と一言聞いただけで、「時間が如何に大切であるか」とか「時間が如何に早く過ぎ去るものか」といったこと全てが、パッと頭の中に浮かんできます。
昔から私は、読んだ本から心に残った部分をノートに書き出すようにしてきました。そうした言葉は長いものでなく大抵は片言隻句ですが、短い言葉だからこそしっかり頭に残ります。そして日々の様々な体験の中で、それらの言葉を頭の中で反芻(はんすう)したり、実際ノートを見返したりして日々の糧としてきました。
その秘蔵ノートから片言隻句の幾つかを紹介したのが、拙著『逆境を生き抜く名経営者、先哲の箴言』です。孔子の珠玉の言でもそうですが、言葉短く人に響くものであることが非常に大事だと思います。
俳句や片言隻句には最終的には、それを発する人の人世観や死生観までが表れるものであり、個性というよりその人の人物そのものだと思います。
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