中国メディア学界のある老教師と話をした。彼曰く、
「今の学生は功利主義に走り、知識や技術(テクニック)ばかり求めるが、肝心の『道』を知らない」
という。「道」とは何かと尋ねると、「それは人生の道理だ」と答えが返ってくる。わかったようでわからない。さらに質問をすると、「自分にかかわる浅薄な関心ばかりでニュースをみて、社会で共有すべき意義を持った本当のニュース価値を知らない」という。今に限った現象ではないが、携帯文化が席巻する時代にあって、特にその傾向が強まっていることは確かだ。世界共通のものである。
老教師のいう「道」を私なりに解釈すれば、依存や従属による思考ではなく、個人の独立した思考を支える独自の価値観、社会認識、世界観を指すのだろう。要するに常識と良識だ。簡単なように見えて、実はこれが一番難しい。日ごろ、しばしば「非常識」な行為にいらだつが、それを判断する自分の基準は理に適っているのかと問われれば、どこまでいっても正解がないように思える。「道」は求道者という言葉があるように、生涯をかけて探し続ける真理なのかも知れない。
「道」は中国人が2000年以上にわたり問い続けてきた。『論語』は「朝(あした)に道聞かば夕べに死すとも可なり」と諭す。「道」を求める覚悟はかくも激しい。「正しい人の生き方」と簡単に訳してしまっては意を尽くせない。悟りや解脱に似た宗教的な境地としなければ理解できない。老子、荘子は宇宙を含めた無辺広大な道を探求し、無為自然による人と道との合一を説いた。道家と言われるゆえんだ。
それだけに中国人は「道」や「道理」にこだわる。長い歴史の中で築かれてきた道徳、規範、知恵の体系とでも呼ぶべきものだ。堅苦しい儒家の礼法だけではない。自然との一体、社会との調和を重んじる道家が教える人生を楽しむ芸術である。林語堂は『My Country and My People』の「Art of Living(生活の芸術)」の章で以下のように書いている。
But even without humanism,an old civilization must have a different standard of values,for it alone knows “the durable pleasures of life ”
(人文主義がなかったとしても、中国の古い文化はきっと異なる価値基準を持っただろう。なぜなら古い文化だけが゛“長続きする人生の楽しみ”を知っているからだ)
そして、人生の楽しみとは「単なる食、酒、家、庭、女、友といった感覚の問題に過ぎない」とされる。人生の楽しみこそ中国人が求める道なのだ。老教師の嘆きは、「今の若者は人生の本当の楽しみを知らない」と言っているように聞こえる。
別の中国人インテリから「中国人は道を忘れた」と聞かされたことがある。日本には武道があり茶道があるが、中国人は「武術」「茶芸」と、技術や技巧だけを求めてきた。精神、魂がないのだ、というだ。確かに字面をみれば、日本人はあらゆる技能や趣味を、みな精神を重んずる「道」にしてしまう。細かい規範の中に身を置くことによって、人生の価値を探索する。束縛の中に精神の自由を見出そうとする。あたかも「道」そのものに価値があるかのように。
だが中国人にとっての「道」は、大きく人を覆っている宇宙ではあっても、人生の価値はあくまで楽しみにある。茶や花は楽しむ対象や手段であって、そこに精神を埋没させ、がんじがらめの茶道や華道にしてしまうことは理解できない。1人1人が主人公でなくてはならない。「道を忘れた」との嘆きは、人生の価値にかかわるもっと深いところにつながっているはずだ。
日本人は島国の地理的条件によって、古来、東西の文化を書籍とモノを通じて取り入れてきた。人の往来、接触によって文化そのものを体感する経験をしていない。近代以降、大量の書を翻訳することによって西洋文化を吸収した結果、実態からかけ離れ、理想化された西洋像に築き上げてしまったことは、多くの目利きたちが指摘するところである。「道」についても、中国の古書を忠実に読み込み、金科玉条のごとく奉ったことで、仮想の像を作ってしまったのではないか。「道」の背後に人生を楽しむ豊富な知恵があることは、おろそかにしてきたのではないか。
日中の文化は漢字を共有しているため、時に安易な比較に陥りがちだ。使われる文字ではなく、それを話す人を理解しなければ、価値あるものを共有することは難しい。だからこそ往来することが大切なのだ。メディアに頼っていては、浅薄で、偏った、狭い知識しか得られない。この点において、私は老教師と意見の一致をみた。インターネット時代の落とし穴である。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年1月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。