2、3世政権は東アジア文化のDNAを物語る

中国の習近平総書記が、副首相の習仲勲を父親に持ち、毛沢東ら革命世代の二代目「紅二代」であることはよく知られている。しばしば革命の聖地に出かけ、綱紀の緩んだ共産党幹部に「初心を忘れるな」と訴えている。日本では、A級戦犯の容疑をかけられた(のちに不起訴処分)岸信介元首相の孫にあたる安倍晋三首相が、この母方の祖父を崇拝し、戦犯者を祭る靖国神社参拝に異常な執念を持っている。気が付けば朝鮮半島も2、3世が国を率いている。

東アジアは血統政治の伝統を引きずっている。血筋を重んじるのは、農村の封建的な家族制度の名残であり、選挙を通じた民主主義が根付いていないことの表れである。一方、権力の世襲は、骨肉の争いを除けば、非常に安定的な政権継承のシステムでもある。冷静構造崩壊後のグローバリズムと各国各様の発展段階との衝突がもたらした内政危機が、伝統回帰の先祖返りを呼んだとも考えられる。

宗族文化の発祥地である中国の習近平政権および中国の政治体制にならった北朝鮮において、血統政治が顕著なのは偶然ではない。中国では、毛沢東をリーダーとする革命世代の血を引く紅二代は、圧倒的な権威を与えられている。

だが血統社会の抑圧に対し、命がけで異を唱えた人物が中国にいたことも忘れてはならない。青年の不平等を告発する『出身論』を公表し、文化大革命期の1970年、27歳の若さで処刑された遇羅克(グウ・ラコク yu luoke)である。


父親の遇崇基は早稲田大学で土木工学を学び、母親の王秋琳は資本家の生まれで、日本留学後、鉄工所の経営にかかわった。このため遇羅克は、知識人と資本家の子どもとして右派階級のレッテルを張られた。幼少期から読書を好み、成績は申し分なかったが、「出身が悪い」として大学は不合格とされ、愛国の情に燃えて志願した軍への入隊も拒まれた。就職も困難で、定職に就けなかった。だが絶望の淵にあっても、読書と著作は捨てなかった。

(1963年の春節に撮った家族の写真。右から二番目が21歳の遇羅克)

文化大革命をたきつけようとする論文を批判する文章も書いた。毛沢東を神のように崇める信仰を否定し、真理を追求する勇敢な姿勢を貫いた。反革命分子と攻撃される中で、彼は自らの人生をずっと縛り続けていた「血統」にけじめをつけるべく、『出身論』の著述に取り掛かった。最初はガリ版で刷られたが、支援者によってタブロイド版『中学文革報』の創刊号3万部に掲載されると、たちまち売り切れて6万部が増刷された。

(1967円1月18日発行)

「家庭出身の問題は、長期にわたる深刻な社会問題だ(家庭出身问题是长期以来严重的社会问题)」

文章はこの一文で始まる。

「出身が悪ければ、人より一等低いだけでなく、自己の家庭に反抗し、党中央を擁護し、毛主席を擁護し、紅衛兵に参加する権利さえも奪われる。この間に、どれだけ無実の青年が、唯出身論の深みにおぼれ、非業の死を遂げたことであろうか。このような深刻な問題に向き合えば、国家の命運に関心を寄せるどんな者も、正視しないわけにはいかず、研究しないわけにはいかない。冷静なように見えるが、完全に折衷主義的な観点は、実は冷酷かつ虚偽である」

遇羅克はこう覚悟を語ったうえで、人間が家庭よりも社会の影響を受けること、人間の評価は実際の表現によって決まること、といった平時では常識に過ぎないことを命がけで説く。

『出身論』は結局、「反動的だ」とレッテルを張られた。遇羅克は自己批判を拒み続け、冤罪のまま死刑判決を受ける。

「いかなる懲罰をもってしても、正義のために闘った戦士を押しつぶすことはできない。なぜなら彼は真理を信じ、犠牲を恐れないからだ」

遇羅克は自分の生涯をこう総括し、刑場に向かった。1970年3月5日、赤い旗に埋め尽くされた北京工人体育館で公開処刑される。その情景を、彼が名誉回復された翌年の1980年7月、『光明日報』が「夜空を引き裂いた流星」のタイトルで伝えている。

「頭を坊主にされ、首に大きな札をかけられた遇羅克は昂然として立ち、決して頭は下げなかった。警官が彼を連れ出したとき、彼は、足枷をはめられた両足を一歩も前に踏み出すまいと必死に逆らった。彼は真理を堅持し、林彪と四人組をさげすんだのだ。遇羅克はこうして何者にも屈することなく、壮烈に身を投じた」

中国では毎年3月5日、毛沢東が自己犠牲の模範として称えた軍人の雷鋒に学ぶ記念日として、各地で大規模な教育・宣伝行事が行われる。この日、真理のため無念の死を遂げた青年を思い出す人はほとんどいない。さる18日は『出身論』が紙面掲載されて半世紀の記念日だった。「歴史が評価してくれる」という遇羅克の遺言は、文革終結後の四人組裁判によって一応は実現されたが、真理の重みは十分に受け継がれているとは言えない。2世3世の政権が依然、アジアを支配している今だからこそ、彼の言葉を改めて読み返す意味がある。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年1月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。