少額でも掛け麻雀=賭博。ルールが曖昧なら社会は劣化する!

荘司 雅彦

麻雀 (写真AC)

福岡県飯塚市の市長が「掛け麻雀」をやっていたとして辞職に追い込まれました。
金銭を掛けて行う麻雀や賭け事はすべて刑法の賭博罪に該当するからです。たとえ少額であっても、金銭を掛ければ賭博罪が成立するいうのが最高裁の立場です。
その論法上だと、たとえ100円単位、10円単位であっても賭博罪は成立することになります。

もっともこれには例外があり、関係者が一時娯楽のために消費する物(具体的には、缶ジュースや食事、また、これらの物を費用を負担させるために金銭を支出させた場合)を掛けた場合は、賭博罪は成立しないとされています。

極端なことを言えば、賭け麻雀で100円の授受があれば賭博罪は成立するが、3万円のフランス料理をご馳走する場合は賭博罪は成立しないということになります。

また、贈収賄の賄賂についても、「社交的儀礼の範囲内」であれば賄賂にあたらないとするのが通説で、最高裁も、父兄が公立中学校の新任教師に5000円の贈答用小切手を贈った事案で、「慣例的社会儀礼であり…職務行為そのものに関する対価的給付であると断ずるには、…なお合理的が存する」として「対価関係」とセットではあるものの賄賂性を否定しています。

世の中には、このようにとてもとても曖昧なルールがたくさんあります。

しかし、ルールは出来る限り透明でないと次のような弊害が生じます。

まず、ルールが不透明だと実質的なルールを知っている者だけが利益を得ることになります。
高級料理の代金を掛けて麻雀をやっている裁判官が、少額の金銭を掛けた被告人に有罪判決を下すことにもなりかねません(実際上、ほとんどの場合は刑事起訴されないでしょうが、理論上はありえます)。

次に、ルールが不透明だと市場経済が維持できません。
市場経済というものは、(完全自由取引ではなく)一定のルールに従った取引だけが許されるというものです。
かつて事件になった証券会社の損失補填や、今もあるだろうインサイダー取引がまかり通ると真面目に市場に参加する人がいなくなり、市場経済が廃れてしまいます。

さらに、不透明なルールは行政権力を不当に強くしてしまいます。
かつて、オウム真理教の信者はホテルの宿泊に偽名を用いたことで逮捕されたそうですが、こんなことで逮捕されたら「お忍びで偽名を使っている面々」は全員逮捕されてしまいます。

これ以外にも、実力も実績もないのに(不透明なルールである)社内情報に通じた社内政治の名人だけが出世したり、表のルールしかしらない外国人経営者や従業員が疎外されてしまう怖れもあります(オリンパス事件はその最たる例でしょう)。

コーポレート・ガバナンスのように、海外を相手とするビジネスの世界ではルールの透明化が鋭意進められていますが、明確性が強く要求される刑事法の分野に不明確なルールがあるのは、日本の国際化にとって致命的です。

もしあなたが中国等の海外に行って、ルール違反もしていないのにいきなり警察官に逮捕されて拘留されるような経験をしたら、その国でビジネスをしようという気にはなりませんよね。

「法の不知は宥恕せず」という万国共通の法格言があります。
これは、刑法に限らず他の法律でも法体系全体を貫いて採用される原則です(特に刑法38条では条文で明記されています)。
具体的には、「◯◯をしたら罪になる(違反になる)とは知らなかった」というのは、それがたとえ本当であったとしても言い訳として通らないということです。知らなかったでは済まされないということです。

不透明なルールがまかり通っていると、法律に書いてあるとおりにやっていても罪や違反に問われかねません。
もちろん、これは日本だけの問題ではないと思いますが(他国云々を論じるまでもなく)社会の安定と経済の発展のためにも早急に改めるべき大きな課題です。

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荘司 雅彦
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編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。