【映画評】ショコラ 君がいて、僕がいる

渡 まち子

19世紀末のフランス。田舎のサーカス団にいたカナンガ、後のショコラを、落ち目の道化師だったフティットがスカウトし、コンビを組む。白人と黒人という前代未聞の組み合わせの芸人コンビは人気を博し、やがてパリの名門ヌーヴォー・シルクの専属となって脚光を浴びる。大金を手にし、派手な生活や賭け事にのめり込むショコラだったが、不法滞在の罪で逮捕され拷問を受けることに。釈放後も、コンビの人気は続くが、根深い人種差別に苦悩するショコラは、ますます酒やアヘン、ギャンブルに溺れ、フティットとの溝が深まっていく…。

19世紀末から20世紀初頭に実在した芸人コンビで、フランス初の黒人芸人ショコラと、相方の白人芸人フティットの軌跡を描く「ショコラ 君がいて、僕がいる」。サーカスの道化師として人気を博したこのコンビだが、もともとすでに実績があったフティットについては多くの資料が残っているのに、ショコラは歴史から忘れ去られていた。本作は、すべてが正反対の二人の芸人の友情の物語であり、芸人コンビの栄光と転落の物語でもある。と同時に、ショコラという黒人が、人種差別や偏見に苦しみ続けた、苦悩を描くものだ。奴隷の子どもとしてハバナで生まれ、スペイン、フランスへとたどり着き、芸人として大成功するショコラは常に向上心を持って生きる強さがある。

一方で、酒やアヘン、ギャンブルに溺れる脆さも併せ持つ多面的な人間だ。そんなショコラが人々に愛されながらも、不当な差別を受け、忘れ去られる運命は、サーカスがやがて映画の誕生によって衰退していく運命とも、どこか重なって見える。ショコラは芸名で、本名はラファエル・パディーヤ。陽気で刹那的なショコラ役のオマール・シーと、舞台を降りたら笑顔が消える内向的で孤独なフティットを演じるジェームズ・ティエレ(チャップリンの実孫)のコンビの相性が良く、道化師の哀愁をよく表していた。二人の当たり芸とショコラの存在は、映画の父リュミエール兄弟が撮ったフィルムに刻まれていて、本物の彼らの姿が映画のラストで登場し、感動の余韻を残してくれる。

【65点】
(原題「CHOCOLAT」)
(フランス/ロシュディ・ゼム監督/オマール・シー、ジェームズ・ティエレ、クロティルド・エスム、他)
(コンビ愛度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。