昨日、一時帰国した。上海に立ち寄った際、昨年にオープンしたディズニーランドに足を運んだ。7年前、田畑だった建設予定地を見に行った記憶がある。今や地下鉄が開通し、面目を一新した。
チケットは370元と高いので、入り口周囲に設けられたグルメ・ショッピング街の「迪士尼小鎮(ディズニー・タウン)」だけを見物した。春節の装飾が中国風を映し出していた。
春節の三が日は入場チケットが売り切れだったそうだ。マクドナルドもスターバックスも、日本を追い越す勢いで店舗が増えている。米中の政治家同士が罵り合いをしようと、民間では米国文化が著しい勢いで浸透している。市場を無視した政治がいずれ庶民からそっぽを向かれるのは、古今東西同じ理屈だ。メディアは政治家の片言隻句を針小棒大に取り上げるだけでなく、もっと実態に即した報道を心掛けなければ、同じように大衆から見捨てられる。
上海は近代、欧米の租界として発展した歴史・文化を背景に、国際都市のイメージが強い。中産階級の厚い層に支えられ、サービス産業の国際化が最も進んでいる。だが、計画経済時代の最重要工業生産拠点だったことを忘れてはいけない。国有企業が重要な地位を占め、政治的には極めて保守的だ。一本化された共産党の権力をバックに、近年、航空会社からメディア業界にいたるまで、相次ぎ一つのグループに統一された。理念よりも利益、効率を計算して動く。
だが中央政府の政策に忠実で、一人っ子政策も共通語普及も着実に実行された結果、上海語を話す子どもたちが激減する危機を迎えている。勤勉で、順法精神が高く、実務能力が高い。だが、決断力を備えた指導者は生まれにくい、商才に長けた隣の浙江人と比較され、「経営トップは浙江人、ナンバーツーの参謀は上海人」が理想的な起業だとされる。
政治の中心である北京は、むしろ多数の権力がしのぎを削るがゆえ、その間隙を縫うようにダイナミックな言論空間が存在する。旗色を鮮明にすることが求められ、そのうえで容赦のない激論が交わされる。大胆な発言はしばしば権力の背景を持っているとみなされる。表面だけを見ていては、ブラックボックスの中のやり取りは永遠にわからない。さまざまなルートを通じ、政治的思惑で水増しされた情報が流れ、おのずと真相をかぎ分ける嗅覚が発達する。
北京ではタクシー運転手まで天下国家を語り、指導者の是非を我が事のように論ずる。一方、上海のタクシー運転手はそうした北京人を大ぼら吹きだと馬鹿にし、生活のため黙々とハンドルを握る。北京の自由の源泉を、ぶつかり合いの中で生じる真空地帯だとするならば、上海のそれは、分をわきまえた中でそろばんをはじきながら絞り出す隙間である。
中国の興味深いのは第三の広東を持つことだ。広東は政治の中心から距離的に離れているだけでなく、元来、ときの政権から逃れることを余儀なくされた歴史的背景があり、独立、自立した精神が強い。忍耐強く、冒険心に富み、起業精神も豊かだ。貧困から海外に出て行った華僑も多い。血縁、地縁によるネットワークに頼って生き延びてきた人々だ。団結を強固にし、アイデンティティを支える方言もかたくなに守っている。「北京、上海なにするものぞ」という気風がある。中国の改革開放が北京でも上海でもなく、広東の地からスタートしたのは、この独立性に期待したからだ。
代表的な三都市を挙げたが、もっと個性的な町が海岸から大陸の奥深くに広がっている。長い歴史、複雑な文化に支えられた多様性を理解しなければ、浅薄な中国報道をいくらみても、この国のことはわからない。少なくとも多様性に対する想像力だけは持ちたいものである。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。