たとえ富士山に登ったことがなくても、日本人にとって富士山は日本の風景を形作る代表として心に刻み込まれているだろう。当方もその一人だ。富士山は日本文化のアイデンティティと繋がっている。その山がある日突然、噴火し、無くなってしまった場合、多くの日本人はどのように感じるだろうか。
読者諸兄は、なぜ当方はそんな不気味なことを考えるのか。インフルエンザのウイルスがとうとう頭の中まで到達したのだろうか?と訝しく感じられるかもしれない。以下、説明する。
当方がインフルエンザでダウンする直前、トランプ米大統領はイスラム7カ国国民の暫定的入国制限、対メキシコ国境沿いに壁を建設する大統領令に署名した。「トランプ氏は大統領に就任すれば、世界大国の米大統領らしく責任ある政治をするようになるだろう」と期待していた人々にとっては失望してしまっただろう(米政府は4日、連邦地裁が大統領令の効力の一時差し止め決定したことを受け、イスラム7カ国から入国者の受け入れ再開)。
トランプ氏は選挙戦の公約を実行に移しただけかもしれないが、世界の自由のシンボルであり、自由を求める全世界の人々の希望の大地、米国のレガシーが崩れ落ちてしまう危険性が出てきたことも事実だろう。
もちろん、レガシーだけでは国民に安全と食を保証することはできない。米南部テキサス州の農夫たちが朝、目を覚ますと「多くのメキシコ人が自身の農地に入り、行進しているのとを目撃した。それは恐ろしい風景だった」と証言する。だから、大統領に就任したトランプ新大統領が最初に署名したのがそのメキシコ側の壁建設だった。不法な移住者を阻止するという狙いは理解できる。
問題は、安全対策上や経済的理由からではない。「自由な国アメリカ」が米国民のアイデンディティとなっているのだが、トランプ氏の大統領令はその国民の心に久しく刻み込まれてきたアイデンティティを抹殺することにもなりかねないからだ。
話は飛ぶ。欧州でも政治的、宗教的、民族的に迫害された人々が逃げる地がある、スイスだ。アルプスの山々に囲まれたスイスは追手から姿を隠すためには絶好の地だ。だから、同国は昔から世界から逃げてきた人々が住み着く“逃れの国”だといわれた。レーニンはスイスに逃れ、革命を計画し、カルヴィンもスイスに逃れ、宗教改革を起こした。自分の懐に逃げてきた避難者を決して追っ払うことはしなかった。 そのスイスでも2009年、欧州諸国で先駆けてイスラム教系イスラム寺院のミナレット(塔)建設が禁止され、翌年6月9日には、難民法改正を問う国民投票が行われ、難民法の強化に約78.5%が賛成票を投じた。
欧州が北アフリカ・中東諸国からの難民の殺到を受け、次々と再びその国境を閉じ、監視を強化し出した。そして今、あの自由な国、米国で特定のイスラム諸国の国民の入国制限、対メキシコ国境への壁建設が進められようとしている、というわけだ。
ボクサーがボデイブローを受けていると、ラウンドを重ねるにつれ次第にそのダメージが蓄積され、最後には耐え切れずリンク上に倒れるように、自国の誇りとしてきた“自由な米国”というアイデンティテイが傷つき、それを失った場合、国民は大切な誇りを失い、その空白に苦しむ。メキシコ沿いの国境の壁建設で傷つくのはメキシコ人よりひょっとしたら米国人ではないだろうか。
トランプ氏は米国の国民経済を復興させ、雇用を拡大する一方、安全対策という名目で「自由な米国」という国民が誇ってきたアイデンティテイを放棄しようとしているように見える。そうであるならば、ディ―ル(取引)は明らかにトランプ氏の誤算となる。
別の観点から見るならば、自由を謳歌し、享受してきた米国民がその自由を暫定的にであれ、自ら制限し、自由の在り方を慎重に吟味し出す機会として、トランプ氏の大統領令を受け取ることができればベストだろう。「中絶の自由」から「同性婚の自由」まで、放縦な自由は米社会の隅々まで席巻している。米社会は病んでいるからだ。
自由の意味とその価値を米国民が再度学んでいくならば、自由の一時的制限は決して米国民のアイデンティティの否定とはならず、更なる発展を意味するだろう。トランプ新大統領の政策意図がそこにあるならば、われわれは少し落ち着いて新大統領の政策を見守る必要があるだろう。その際、リベラルなメディアのパニック報道には要注意だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。