独連邦議会の野党「左翼党」幹部のグレゴール・ギジ氏(Gregor Gysi)は先日、独国営放送ZDFのマルクス・ランツ司会の娯楽番組に出演し、そこで「自分は神の存在を信じていないが、神なき社会を恐れている。キリスト教会が主張するような価値観で構築された世界が全く存在しない世界に恐怖を感じるのだ。資本主義も社会主義もその恐怖心を取り除くことができるものを有していないからだ」という趣旨の話をしている。
ギジ氏(69)は1989年に東ドイツの支配政党であったドイツ社会主義統一党が改組して結成された民主社会党の初代議長に就任し、東西両ドイツの再統合後も左翼党をリードしてきた政治家だ。典型的な無神論者だが、その無神論者が神なき社会の台頭に一種の懸念を有しているというのだ。独メディアは「無神論者、宗教を守る」という見出しで同ニュースを報じているほどだ。
そういえば、“神なき社会”への懸念を表明する知識人が増えてきている。「素粒子」などの代表作が日本語にも翻訳されている仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏もその一人だ。彼はドイツ週刊紙「ツァイト」とのインタビューの中で、「宗教なき社会は生存力がない。自分は墓地に足を運ぶ度、われわれ社会の無神論主義にやりきれない思いが湧き、耐えられなくなる」と率直に述べているほどだ。
ウエルベック氏(60)の「神なき社会にやりきれなさを感じている」という台詞は、ギジ氏の嘆きに通じる世界がある。ちなみに、同氏の最新小説「服従」は、次期大統領選に関する近未来小説として話題を呼んだことは記憶に新しい。
2022年の大統領選でイスラム系政党から出馬した大統領候補者が対立候補の極右政党「国民戦線」マリーヌ・ル・ペン氏を破って当選するというストーリーだ。フランス革命で出発し、政教分離を表明してきた同国で、将来、イスラム系政党出身の大統領が選出されるという話だ。
教会が生き生きしていた時、無神論者も多分、積極的に神を攻撃できたが、教会が勢いを失い、信者が脱会する時、無神論者は勝利の歌を歌うのではなく、教会の行く末、神の行く末に懸念し、神なき社会の台頭にひょっとしたら教会関係者以上に心配し出しているのだ。
ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の主人公の一人、イワンが「神がいなければ、全てが許される」と呟く箇所がある。無神論者はイワンのように神がいなければ全てが許されると考えても不思議ではないが、実際、神のない社会が台頭すると、「そのやりきれなさに耐えられなくなる」という声が彼らの口から飛び出してくるわけだ。
もちろん、神を信じる敬虔な信者や聖職者たちから神を否定する社会の台頭に危機感を持つ声は出ているが、喧騒な世俗社会ではその声は消されてしまっている。「神はいない運動」が欧州を席巻し、「神は死んだ」というフェイク・ニュースが社会に事実として定着している。
“神なき社会”に対し、ギジ氏は「資本主義も社会主義も十分ではない」と認めている。ギジ氏の嘆きは無神論者としての勝利の余裕から飛び出した台詞だろうか、それとも救いを求める叫びだろうか。ひょっとしたら、欧州の世俗社会は今、無神論者が宗教の役割を再評価する時代圏に入ってきたのだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年2月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。