神恩は、親恩を通して初めてその真趣を示顕し来たる。孝とは、我がこの個人的生命の直接的根源に対する自反帰入の自覚というべし--森信三先生は、こう言われています。「個人的生命の直接的根源」いわゆる親が我々に生を与えているわけですから、その根源に対する「自反帰入の自覚」が「孝」であるとは先生の言われる通りだと思います。
現代では、封建的色彩を帯びたコンセプトとして此の孝を意識する人が少なからずいますが、それは間違いだと私は思います。日本の先哲・中江藤樹が大変重視した『孝経』には、「夫れ孝は徳の本なり。教の由って生ずる所なり」とあり、「孝は百行(ひゃっこう)の本…孝行は、すべての善行の基本である」とも言われています。之は延いては天(神)に対する恩にも繋がっているのです。要するに人とは天(神)が命(めい)を与え此の世に生を受けるわけですが、それは親を介在し子供として生まれてくるのであって、そういう意味で神恩に親恩は繋がっていると言えましょう。
人間は先ず五体満足に生を受けたことに感謝の念を持ち、その後両親の深い慈しみの下ある程度一人前になるまで育ててくれた両親に対する恩と感謝の気持ちが自然と醸成されて行きます。そして、その気持ちが次第次第に他の人や動植物といった生あるもの全てに及んで行き、今度は、両親や周りの人達に対し孝を尽くすという具体的行動にまで発展して行くのです。
ちなみに、私は入社志望者の面接時に「あなたが尊敬しているのは誰ですか?」と質問をすることがあります。すると「両親」と答える人が非常に多いのですが、之はどういうものかと思っています。小学生ならば兎も角、大人になって「敬」の対象が両親だけというのでは、人間としての成長は限られると思うわけです。両親を尊敬するのは結構なことですが、彼等は敬の対象というよりも孝の対象で在るべきです。従って我々は、常に敬の対象を探し求める努力をして行かねばならないのです。
孔子を始祖とする儒学では、人間力を高めるために「五常(ごじょう)…仁・義・礼・智・信」をバランス良く磨くべしとして、「修己治人(しゅうこちじん)…己を修めて人を治む」を実現すべく、此の五点夫々にレベルが高いことを以て徳が高い人物だとされています。
五常とは「仁:他を思いやる心情」、「義:人間の行動に対する筋道」、「礼:集団で生活を行うために、お互いが協調し調和する秩序のこと」、「智:人間がよりよい生活をするために出すべき智慧」、「信:集団生活において常に変わることのない不変の原則」のことであります。『論語』には枚挙に遑がない程に、仁や信あるいは義や礼や智の大切さを述べた言葉が収められていますが、それは五常を身に付けることイコール徳を高め君子になるための絶対必要条件だからです。
孝の気持ちを持つことは非常に大事であって、人は幼い時から養い育んで行かねばならない徳目だと思います。孝とは、何も通常言われる親孝行だけを指したコンセプトではありません。広い意味を内包する此の孝を仮に親孝行と呼ぶとするならば、その親に対する孝を広げて行くことが、上記五常と言われる人間力の源泉に繋がって行くのだと思います。
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