アベノミクスや「異次元緩和」は壮大な空振りに終わったが、これは著者を含めてほとんどの経済学者が予告してきたことだ。したがって本書の前半はこれまでの標準的な経済学の解説だが、後半はちょっとトーンが変わっている。それは世界的に財政政策の時代に入ったという認識だ。
大学で教わる「ケインズ経済学」は1980年代に死んで、20世紀末にケインズ政策を採用する先進国は日本以外になくなっていた。財政政策で「雇用を拡大」するというのは幻想であり、長期的にはインフレをもたらすだけだから、経済の微調整は金融政策でやることが常識になった。
しかし2000年代に日本がゼロ金利に突入して金融政策がきかなくなり、量的緩和も効果がなかった。2008年にアメリカが金融危機に陥って非伝統的な金融政策を採用し、大規模な財政出動が始まったが、ケインズの時代に戻ったわけではない。財政政策で持続的に成長率を上げることはできないが、財政と金融の役割を見直して政府と中央銀行のバランスシートを統合して考える時代になったのだ。
ここでは中央銀行の本質的な役割は「最後の貸し手」機能だけだから、著者もいうように中央銀行省になってもよい(それが民主主義にかなう)。ターナーの「ヘリコプターマネー」はそれを粗雑な形で表現したものだが、本書もいうようにそんなフリーランチはない。ヘリマネでも、金利上昇で財政負担は生じるからだ。
シムズのFTPLはそれよりはるかに洗練された理論だが、著者は否定的だ。これは(一部の人々が誤解するような)景気対策ではなく、政府が財政規律を否定する政策だからである。私もFTPLは政策としては無理だと思うが、「財政インフレ」のシミュレーションとしては使える。シムズも指摘するように、日本の財政はハイパーリカーディアンともいうべき政府への過剰な信頼で維持されており、それはいずれ「正常化」するからだ。
政府が倒産しないというのは錯覚である。名目債務はデフォルトできないが、財政インフレにすれば、実質債務のデフォルトで借金の大部分を踏み倒せる。政府債務1100兆円(および社会保障債務1600兆円)の返済を永遠に延期することはできないので、いずれ限界が来て金利が上がる。その「出口」が明日ということはないが、10年先でもないだろう。