ケーキを公正公平に二人の間で分割する方法を考えよう。これは、実は、いたって簡単な話で、一方の人が自分の好きなように包丁を入れて二つに分け、他方の人が二切れのうち自分の好きなほうを先にとればいいのだ。
なぜ、これが公正公平な分割であるかというと、双方から不公正や不公平という批判は生じ得ないからである。そして、公正公平ということは、社会的な合意の形成にすぎず、合意とは反論の不可能性のことだから、双方が不公平だとの反論ができない以上、双方が公平だと合意したのと同じになる。
これは、プラグマティズムの哲学である。二人でケーキを紛争なく分け合うということが課題だから、その課題の実現に対して、最適な方法が選ばれることが大切なのである。その視点にたったとき、物理的な意味での正確な二分割に何の意味があろうか。
敢えて、物理的に正確な二分割に挑戦するならば、ケーキを、原形をなくして完全均質になるまでミキサーにかけて、その後、精緻な計量によって、そのドロドロした物質を二等分するしかない。もはやケーキでないものを正確に二分割しても、社会的な意味は全くない。
このケーキ二分割では、双方は、一方は二つに切り、他方はどちらかを選ぶというというふうに、一つの事案に別の立場で積極的に関与しているわけで、その双方の関与が双方の公平公正性に関する合意を完全なものにしているのである。
さて、この方法を人事制度の運用に適用すると、どうなるか。企業と個人との間に公平公正性を実現するためには、どのような双方の関与が求められるか。
企業は、採用にしても、登用にしても、異動にしても、明らかに人を選択している。この選択こそ、企業の人に対する積極的関与である。ところが、個人の側から選択できるかというと、希望というような弱い意思表示はあり得ても、職務や処遇を選べるというほどの積極的な関与は、企業の立場として認めにくい。
そうはいっても、人事制度の運用において、個人の選択範囲を大きくしていくことで、個人の関与を通じて、企業と個人との間の一対一の関係を作る、これは、人事の一つの潮流である。実際、個人の選択と企業の選択が人事異動や処遇面で一致していれば、完全に企業が人を正しく処遇したことになるのだと思われる。少なくとも、個人において、不平不満の余地がないという意味では、完全な合意である。
もちろん、正しい処遇であるかどうかは、人事政策が企業の成長に貢献するかどうかという結果によって評価されるべきである。しかし、結果は、事前には、わからない。企業として管理できることは、人は、正しく処遇されているとの自覚と確信のもとで、自己の能力の最大値を発揮する、そのような個人の行動様式を信じることだけである。それが人事制度の限界だ。
企業と個人の間に直接的関係ができて、その結果、公正公平感が醸成されてくる一方で、他方では、個人と個人との間に、軋轢というか、不公正不公平感が生まれていく可能性はある。しかし、解決方法は、個人の努力によって、同僚の信頼を集めていくことしかない。そして、その努力の成果を個人の実力というのである。その意味で、実力ある個人の集合として、企業は成長していくのだ。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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