検察庁法改正案をめぐって「三権分立を侵害するものだ」という批判が出ている。検察は行政機関なので、内閣が検察の人事権をもつのは三権分立と無関係だが、そもそも日本国憲法に「三権分立」という言葉はないのだ(2017年3月3日の記事の改訂版)。
今回の騒動で知ったのだが、衆議院のホームページには上のような図が描かれ、次のように説明されている。
日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めています。
首相官邸のホームページも、こう説明している。
国民主権の下で、立法、行政及び司法の三権分立を徹底させるとともに、議院内閣制という基本的枠組みの下で、内閣は行政権の主体として位置付けられることとなった。
議院内閣制は一元支配
これはいずれも誤りである。「三権分立」というのはモンテスキューの言葉で、合衆国憲法の原理になったが、日本国憲法は議院内閣制なので三権分立ではない。
国民が国会議員を選挙で選び、国会が首相を指名し、首相が内閣を組織するのだから、憲法第41条の定める通り国会が国権の最高機関なのだ。憲法学の教科書にも「三権分立」という言葉は出てこない。
「三権分立という言葉はなくても権力分立の原理はある」という人がいるが、これも憲法には書かれていない。違憲立法審査権など司法の独立性に配慮する規定もあるが、内閣が最高裁判所の長官を指名するのだから、国会が内閣を支配し、内閣が司法を支配するのが原則である。
「分立」という言葉をゆるやかに定義して「立法・行政・司法が別組織になっている」と解釈する人もいるが、国会議員が内閣を構成するのだから立法と行政は分立していない。本当に分立させるなら、国会議員が首相になることを禁じ、内閣が立法することを禁じなければならない。
合衆国憲法には「主権」という言葉がないが、日本国憲法は第1条で「主権の存する日本国民の総意」で国家を統治することになっている。これは憲法の系統でいうと合衆国型ではなくフランス型の「国民主権」で、主権者の代表たる国会が行政や司法を支配する一元支配が原則なのだ。
官僚の強すぎる「行政国家」
ただし実態は違う。法案の80%以上は官僚の書いた内閣提出法案(閣法)で、国会は立法機能を果たしていない。裁判所はめったに違憲判決を出さず、それによって立法が変えられることもない。日本は官僚機構に三権の集中する行政国家なのだ。
検察が政治家を起訴するのは、三権分立とは無関係である。「検察の独立性が今回の改正で侵害される」というが、もともと検察に独立性はない。検察官は法務大臣の指揮下にあり、内閣に従属しているのだ。
本質的な問題は、統治機構の中で官僚が強すぎることである。ゴーン事件で問題になった「有罪率99%」も、検察官と裁判官という官僚が司法を支配していることが原因である。
立法権も閣法を書く官僚がもち、政令・省令や逐条解釈で法令解釈も官僚が決め、行政処分で警察権も官僚がもつ。日本は官僚機構が行政だけではなく立法・司法機能をもち、行政の裁量が拡大する官僚独裁の傾向が強まっている。
これは現代ではどこの国にもみられる傾向で、アメリカでもトランプ大統領が大統領令という行政命令を乱発して大騒ぎになっている。合衆国憲法は三権分立なので、それに司法が歯止めをかけ、議会が法律で歯止めをかけるが、日本には行政国家をチェックするシステムがない。
その意味で安倍政権が今回の国家公務員法改正で(検察だけではなく)幹部公務員の人事をコントロールしようとするのは、内閣が行政を支配する議院内閣制の本来の姿である。年功序列の内部昇進で幹部を決めることが民主的だとはいえない。
ただし多くの検察OBが批判するように、検察には国会議員を訴追するという特殊な業務があるので、その点についての配慮は必要だろう。これは三権分立とは別の問題である。