神父の“職業リスク”は肥満とアル中

長谷川 良

北朝鮮の金正恩労働党委員長がパラノイアの可能性があると指摘し、「パラノイアは独裁者の職業病」という診断を紹介したが、如何なる職業にもその職業特有の職業病、職業リスクがあるものだ。ローマ・カトリック教会の聖職者の職業リスクは肥満とアルコール中毒だ、という調査結果がこのほど明らかになった。

▲オーストリアのローマ・カトリック教会の精神的支柱、シュテファン大聖堂内(2012年4月26日撮影)

この調査結果はウィーン大司教区が実施したもので、「神父たちの肥満化が広がっている。同時に、アルコール中毒傾向がみられる聖職者も増えてきた。4人に1人の聖職者はアルコール中毒症状で医者の相談を受けている」というのだ。新聞社が実施した世論調査結果ではない。オーストリア最大教区、ウィーン大司教区が関与した調査結果だ。

イエスの教えを信次、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」(「マタイによる福音書」4章4節)というイエスの言葉を繰り返し唱和してきた聖職者自身が食欲と飲酒の誘惑に弱いという現実が浮かび上がったきたわけだ。体重と身長の関係から肥満度を示す体格指数(Body Mass Index)でいえば、肥満度2度以上、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)に悩む聖職者が多いという現実は何を物語っているのだろうか。

聖職者と日常接触している人ならば、聖職者がなぜ太り、飲酒の誘惑に弱いかは薄々推測できるのではないだろうか。簡単に説明すれば、聖職者は知的労働者だ。食べるが、胃袋に入ってきたカロリーを全て消化できるほど体を動かす機会がないので、どうしても余分なエネルギーがお腹の周囲に溜まっていくわけだ。

聖職者はワインなどアルコールを飲酒する機会が結構多い。その上、神父は独身者だ。部屋に戻ってその日の出来事を親身に話す相手はなく、一人で聖書を読みながら、祈祷する。机の上にアルコール類があれば、どうしても手が出てしまう。

結婚していたならば、奥さんが「あなた、飲み過ぎには気を付けて」と忠告してくれるだろうが、独り者の神父にはアドバイスをしてくれる者はいない。周囲を見渡しても、同じように小太りか肥満した同僚の聖職者しかいないから、誰も「食べ過ぎですよ」とか「飲み過ぎよ」といった声をかけない。聖職者にとって、肥満やアルコール中毒は一種の職業リスクだというわけだ。

実例を挙げる。バチカン前教理省長官のウィリアム・レヴァダ枢機卿が飲酒運転で逮捕されたことがある。同枢機卿が神父たちとハワイで休暇を過ごしていた。食事の後1人で車を運転していた。警備中の交通警察官が「運転の仕方がおかしい」と見て、枢機卿の車を止めた。アルコール検査をしたところ、ハワイの交通規則となっているアルコール許容量を大きくオーバーしていた。そこで枢機卿は警察まで連行され、数時間拘束された。枢機卿は結局、500ドルの保釈金を払い、釈放された(「前教理省長官の『飲酒運転』の顛末」2015年8月28日参考)。ちなみに、教理省は“カトリック教義の番人”と呼ばれる部署であり、レヴァダ枢機卿は当時、その責任者だったのだ。

調査結果で興味深い点は、聖職者にバーンアウト(Burn-Out)」に陥る者が他の職種より少ないことだ。バーンアウト(燃え尽き症候群)はヒューマンサービス業に従事して いる人に多いといわれるが、信者たちを牧会する聖職者も一種のヒューマンサービス業の従事者だ。にもかかわらず、神父たちがバーンアウトに陥るケースが少ないというのだ。

当方の解釈だが、聖職者は神を信じ、イエスを愛している。彼らは天国行きチケットをもらっていると確信している。独身で寂しいが、天国行きチケットは手に入っているから、悩み苦悩することは通常の人より少ないはずだ。その一方、美食と飲酒の機会は多い。通常の人は生きるために汗を流す一方、天国に行けるかは確かではない。心は様々な煩悩に悩まされている。時として、全てを捨てたくなる衝動に駆られるのではないか。

最後に、聖職者の職業リスク対策としては、「適度のスポーツをすることだ」という。聖職者は自身が天国に到着するまでは、肥満やアルコール中毒で健康を害さないようにしなければならない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。