日中の民法論争の違いから見えるもの

北京で全国人民代表大会が開かれているが、学生はほとんど関心がないかと思っていた。試みに、ニュースに注目しているかと聞いてみると、ふだんは目立たない女子学生から「人民の権利に法律の保護を与える民法の制定は画期的なことです」と答えが返ってきた。

硬い話題だったので意外だった。まっすぐな目が、価値あるものを探そうとしている。埋もれている芽を見つけると心が高鳴り、それをいとおしむ気持ちが沸いてくる。何かの助けになるかと思い、私は明治期、日本で起こった民法典論争を紹介した。

中国には、婚姻法や相続法などが個別に存在するが、それらを包括する民法はない。中国共産党が建国後、権力闘争に明け暮れ、法を重視してこなかった。改革開放後は計画経済と市場経済の併存が、「経済法・民法論争」の形でイデオロギー対立を招き、法制定を先延ばしした。市場経済が浸透し、それに応じた社会制度が整備され、人々の意識も変わってきた。ようやく序章となる民法総則草案が全人代に諮られ、2020年をめどに民法典の編さんが進められることとなった。確かに画期的なことなのだ。

胎児の遺産相続権や成年後見、個人情報の保護、緊急救助行為の免責などが盛り込まれれている。離婚が日常化し、農村に残された独居老人が増えた。個人情報を悪用した詐欺行為が横行し、人助けをして逆に訴えられる不条理な事件が相次いでいる。人口の流動化や価値観の変化によって伝統的な家族が変質し、社会道徳が危機にさらされている。こうした風潮に対応した内容だ。

中国の社会は、政治権力が圧倒的な権威を持つ一方、人々が強い権利主張をしてぶつかり合う複雑な社会だ。圧倒的な権力にひれ伏す反面、それが及ばない領域においては過剰なほど権利を貫く。さらに法よりも情を重んじる「合情合理」の風土がある。ルール一辺倒の日本社会とはかなり異質である。違いを説明するには、明治期の民法典論争にまでさかのぼらなくてはならない。

言うまでもなく、明治期の法制度整備は、不平等条約を改正する国家悲願のため、西洋と同じ土俵に上ることが主目的だった。社会の実態に合わせて法がそれを追認するのではなく、西洋の社会モデルをそのまま移植した。憲法学者の穂積八束が論文「民法出でて忠孝亡ぶ」を発表し、日本の伝統的な大家族制度を擁護したのは、その事情を物語る。民法典論争は、当時としてはやむを得ぬ選択ではあったが、対外関係優先の拙速な国内法制定が招いた東西文化の衝突を背景に持っていた。その結果、根を持たない臣民の権利は疎んじられ、恣意的な公権力に飲み込まれた。

戦後の新憲法で国民の権利は保障されたが、権利は条文によるのではなく、実践によってしか守られない。企業では今でも恩恵を施す「賞与」の言葉が残る。退職金を人質に取られたサラリーマンは、上下関係という不合理な権力の前で、わずかな権利さえも主張できない。新聞社でさえも、自由な議論は存在せず、一党独裁国家のような言論統制が敷かれる。閉ざされた組織を硬直化したルールが支配し、異論は排除され、同化する道しか残されていない。受け身の姿勢は政治行動にも及び、投票率は下がり続ける。驚いたことに棄権も政治的権利の行使だという詭弁、暴論までまかり通る始末だ。

隣国の人権侵害をあげつらうことには秀でていても、自分たちが権利を守るために努力を続けているかどうかは反省しない。新聞社は「知る権利」を訴えるが、もはやその資格がないことは多くの人々が気付いている。事なかれ主義と自己保身がまかり通り、臆面もなく「特ダネより訂正を出すな」と言う人々がいる。自分は常に正しいと思いこまなくてはならないため、知らず知らずのうちに世間の常識からずれ始める。だから船が沈みかかっていても、タコツボの中で人の悪口にすがるしかない。

私はこの学生に、

「たとえ法律に書いてあっても、権利を行使しなければ権力に従う奴隷となる。権利を主張しなければ、義務や責任の観念も生じない。時効が設けられているのは、権力放棄の怠慢を戒めるためだ。逆に、相手の権利を尊重しない権利は社会からも尊重されない。同じように、自由を求めるのであれば、相互に認め合わなければならない。独立した人格、独立した思考を実現するためには、まずこの点をわきまえなければならない」

と伝えた。彼女は「法律の意識は、国民の民度ということなのか」と尋ねてきた。一般的に日本人は民度が高いと言われるが、果たしてそうなのか。彼女の質問がそんな問いかけを誘った。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年3月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。