ある行動経済学者が、結婚市場においては「ある程度控えめな人の方が魅力的だと思われる」と書いていました。
結婚相手として求められるのは、思いやりがあり、知的で、健康で、肉体的魅力などなどを備えている人です。もちろん「財力」も必要ですが、ここでは除外します。
そして、上記のような特質を兼ね備えている人は誰からも求められるので、懸命に相手を探す必要はありません。
逆に、このような特質の多くが自分にはないとわかっている人はこれまで何度も拒絶された経験があるので、相手を手に入れようと必死になるのです。
つまり、好条件を備えている人は必死に追いかけなくてもいいけど、好条件を備えていないと自覚している人は必死になるという理屈です。
確かに、外見だけでは「思いやり」や「知性」のような内的情報を得ることはできません。本人と相手との間に「情報の非対称性」が存在するのです。
そうなると、「必死に追いかける」という行動が(正しいかどうかは別として)その人に隠れた欠点があるというシグナリングになってしまうようなのです。「追いかける人」=「何か欠点がある」という。
それを理解してのことかどうかはわかりませんが、恋愛では、磁石の同極のように「追えば逃げる」という構図がたくさん散見されます。相手が自分に夢中になった途端に冷めてしまうというのもその一例かもしれません。
これは就活にも当てはまります。
内定を出した学生を何が何でも拘束しようと必死になる会社は、学生たちから軽んじられて敬遠されがちです。学生たちは心の中で、「この会社何かマズイことでもあるんじゃないか?」と思っているのかもしれません。
セールスや勧誘がしつこい場合も、「変な商品を売りつけられるんじゃないだろうか?」と不安になりますよね。
もっとも、何もせずに待っているだけでは物事は進みません。合コンに参加して一人で孤立して格好を付けていても、変人扱いされるのが関の山です。
だから「適度に控えめ」というのが絶妙なコツなのでしょうね。
恋愛であれば、「あ、アドレスを訊いてくるかな?」というタイミングで敢えて訊かないとか。相手の予想を裏切って「ぐっと我慢」するのです。
就活生に対しては、「わが社よりいいと思う会社が見つかれば話を訊いてくればいいよ。きっとわが社の良さがわかるから」というのはいかがでしょう?
そういえば、昔外回りの個人営業をやっていた時、何度か新規開拓をしようとしたのですが「いい感触」を掴めずに諦めた先がありました。
私の後任が「見込み客リスト」を見て訪問したらすぐに大金を入金してくれました。お客さま曰く「荘司さん最近来なくなったので、どうしたのかと思ってたのよ」。
諦めたつもりが、図らずも「適度に控えめ」的な吸引力を発揮していたようです(笑)
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年3月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。