医療保険制度改革(オバマケア)の撤廃と代替案への移行は、米大統領選挙前からドナルド・トランプ氏が選挙公約に掲げてきました。2016年10月23日にペンシルベニア州ゲティスバーグで発表した100日計画、選挙後まもない同年11月11日にも優先政策として①移民、②医療、③雇用――の3つを挙げたものです。
ところが、ライアン議長をはじめ下院の共和党が作成したオバマケア代替案、米国医療保険法(American Health Care Act、略してAHCA)は、採決の日の目を見ることなく終わりました。237議席を有する共和党は22議席以上の造反で否決となるところ、保守強硬派の下院議員から成るフリーダム・コーカスの約30名が不支持にまわったため採決自体を断念せざるを得なくなりました。
トランプ米大統領は「(下院の)民主党が協力しなかった」と振り返り、下院の共和党議員をまとめきれなかったライアン議長へ批判の矛先を向けていません。税制改革をはじめ、同議長の指導力が必要だからでしょう。
とはいえ、税制改革でもフリーダム・コーカスが反旗を翻さないとも限りません。共和党の長年の大口支援者であるコーク兄弟が、溢れる資金力で再びトランプ米大統領に挑戦状を叩きつけてもおかしくないためです。
コーク兄弟と言えば、経済誌フォーブスが毎年発表する世界の長者番付のトップ10の常連ですよね。2017年版では兄のチャールズ、弟のデビッド・コーク氏がそろって8位で483億ドル、2人の総資産は合わせて966 億ドルとウクライナの国内総生産(GDP)を上回る水準に匹敵します。両氏の父が創業した石油化学など複合大手コーク・インダストリーズの売上は2016年の売上が1,000億ドルと米国の非上場企業では穀物大手カーギルに次いで2位であり、巨万の富を駆使し政界に影響を与えてきました。ティーパーティー運動の火付け役とも言われています。
根っからのリバタリアンであるコーク兄弟は、米大統領選挙中からトランプ氏への不信感を隠しません。チャールズ氏は、 2016年7月付けフォーチュン誌のインタビューで クリントン候補か トランプ候補かどちらかを選べというのは、「ガンか心臓発作のどちらかに投票しろというものだ」とまで発言したことで知られます。同じ頃、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙の論説文に“アメリカン・マインドの終焉(The Closing of the American Mind)”を執筆、「米国の繁栄を支えてきた自由でオープンな社会という基本理念から後退する危険な兆候が見て取れる」と訴えていました。それだけではありません。今年1月の会合にて、チャールズ氏は「我々は大いなる危険にさらされている・・・全体主義へ向かうか、あるいは自由でオープンな社会へ向かうかだ」と警鐘を鳴らしました。
トランプ米大統領に立ち向かうコーク兄弟の挑戦は、AHCAでは実を結びました。一部メディアは“コーク兄弟、オバマケア代替案否決に投票する共和党候補に百万ドルの賄賂を提示”とのヘッドラインを掲げたように、編み出した秘策が奏功したためです。今度は税制改革の本丸、国境調整税を狙い撃ちしてくることでしょう。
コーク兄弟はチャールズ氏が81歳、デビッド氏が76歳ながら2018年の中間選挙に照準を当て潤沢なマネーを注入する計画です。2016年は米大統領選挙をスルーし上院選挙に資金を傾け2,500万ドルを費やしたところ、2018年の中間選挙向け予算は1.5倍超の4,000万ドルに上るとされています。
コーク兄弟が影響力を行使できるのは、保守強硬派のフリーダム・コーカスだけではありません。コーク兄弟と関係が深い重要人物の1人こそ、誰あろうペンス副大統領です。インディアナ州がラストベルトの一角である通り製造業の州なだけあってエネルギー産業との距離が近いせいか、ペンス氏が知事選挙で2回当選した裏で弟のデビッド氏が30万ドル相当を寄付していました。コーク兄弟から潤沢な資金を得た共和党知事協会は、2012年と2016年に420万ドル相当の資金をペンス陣営へ流入させています。そのほか、ペンス副大統領の元側近で現在は立法担当官であるマーク・ショート氏は保守団体フリーダム・パートナーズの運営に携わり、ペンス氏の次席補佐官代理だったマット・ロイド氏はコック・インダストリーズの広報代表を務めました。
日米ナンバー2「経済対話」を麻生副総理と率いるペンス副大統領、3月27日にはイスラエルを訪問し外交手腕を発揮へ。
(出所:Michael Vadon/Flickr)
環境保護局のスコット・プルイット局長も例外ではありません。2010年と2014年における司法長官出馬で、コーク兄弟が関わる政治活動委員会(PAC)がプルイット陣営に10万ドルを寄付したとされています。他にコーク・インダストリーズは共和党候補者を支援する共和党州別リーダーシップ委員会(RSLC)に過去10年間で約130万ドルもの支援を行い、そのうちプルイット氏が関連する非営利政治団体に2010年は15万ドル、2014年は17.5万ドルが流れました。コーク・インダストリーズが石油化学関連大手であるだけに規制緩和を狙い働きかけた形跡も6,000件以上に及ぶeメールで垣間見れます。
米大統領選挙中にインディアナ州知事だったペンス氏が副大統領候補に指名された折、フリーダム・パートナーズの広報担当は「我々は上院選挙に注力する」と回答していました。ここまで振り返ると陰謀説をお好みの方なら、あらぬ疑惑が頭をもたげてきますよね。トランプ米大統領は、敢えて敵陣の懐に飛び込むためコーク兄弟の息が掛かった副大統領を選んだのか?あるいは、コーク兄弟が狙うのは1期中のトランプ政権瓦解なのか?ごく単純に後者で考えた場合、トランプノミクスの三本柱であるオバマケア撤廃・代替案が没となったいま、税制改革で敵失を誘えば1期満了後あるいは待たずしてペンス米大統領が誕生するシナリオが浮上する。コーク兄弟としては、願ったり叶ったりですよね。
ただ、オバマケアの支持が高い背景もあり今回の敗北でトランプ米大統領を責めるサポーターは少ない。ビートルズがかつてMoney can’t buy me loveと歌ったように、巨額を投じてもお金で愛や支持は買えないのでしょうか。一つ明らかなことは政治の世界では利害関係の糸が複雑に絡み合い、そうは見えなくても必ずどこかで繋がっているという事実です。
(カバー写真:Fortune Brainstorm TECH/Flickr)
編集部より:この記事は安田佐和子氏のブログ「MY BIG APPLE – NEW YORK -」2017年3月27日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はMY BIG APPLE – NEW YORK –をご覧ください。