日本企業は知的財産への固執で中国で商機を逸している ?

加藤 隆則

前回のブログで、招請状をいただいた堀井伸浩・九州大学大学院経済学研究院准教授のことを書いたら、北京の知り合いから「10年近く前から核心をつく点をはっきり言う先生がいるんだと感激していました」とのコメント付きで、堀井氏が2009年に朝日新聞で発表した文章を教えられた。

「対中環境事業 知的所有権への固執捨てよ」

日本企業が知的所有権に執着し、既成製品をそのまま販売するビジネスモデルから抜けきれないのに対し、欧米企業は知的財産そのものを売るので、国産化を目指す中国企業には歓迎される。欧米企業も、国産化まで部材を売り、技術移転の研修プログラムでも商売をし、しっかりと設けている。こうしたウィンウィンの関係によって、市場規模が5年で1兆円を超える中国の排煙脱硫装置の売り込み競争は、日本企業が白旗をあげることになった。

堀井氏の主張は今でも当てはまる。日本の技術は世界トップレベルだ。モノづくりへのこだわりは、どこへ行っても高い評価を受けている。だが、「いいものだから」とコストを度外視して売り込んでも、相手の市場は必ずしも受け入れてくれない。技術移転のあり方を含め、身の丈に合ったニーズがある。市場を理解しなければ、モノもサービスも売れない。この辺のしたたかさ、柔軟さが日本企業に欠けていることは、中国にいるとしばしば感じさせられる。企業駐在員は本社との認識ギャップこそがます超えなければならない障壁だと感じている。

中国は安価な労働力を提供する加工製造の拠点から、世界最大の人口を抱える一大消費地に変貌を遂げつつある。中国は「作る場所」ではなく「売る場所」になった。日系企業は、外国企業ばかりでなく現地中国企業との厳しい競争にさらされ、生き抜くことを求められている。安易な日本ブランド宣伝を捨て、中国市場を主戦場として、その文化を含めた環境に適応した戦略を練る必要がある。現地化とはこういうことだ。

福岡では、堀井氏と同じことを西日本新聞の久永建志経済部デスクから聞かされた。彼は資料を作成し、学生たちに九州を拠点とする環境ビジネス協力について講じてくれた。両政府間で協力の枠組みを作り、企業の投資環境を整備する試みが行われている。いくつか具体的な事業が始まったものの、概して日本企業側の腰が引けている。その理由が知的財産保護への不安だという。

久永氏の見解は明快だ。環境ビジネスの技術は日進月歩である。既存の技術に拘泥していても、すぐにイノベーションが起きて淘汰される。むしろ、積極的に技術を移転し、その一方でさらに進んだ技術開発に力を注ぐべきではないか。私も同感である。市場がなければ技術革新は起きない。いずれ中国の巨大市場から世界に先端技術が発信される時代が来るのは目に見えている。

日本人は生真面目で、なんでも完璧にやろうとする。私もそうだ。だが、ここに住んでいると、別のやり方のほうが効率的に思えることがある。私はよく日中の違いを語る際、こんな例を引く。

「日本人はじっくり考えてから走り出す。考えて考えて、最後は放棄することもある。中国人は走りながら考える。とりあえずスタートし、問題が起きたらその都度改めればいいと考える。だから不測の時代が起きたとき、日本人は『なぜだ』と当惑し、原因を探そうとする。中国人はそもそも想定内なので、問題解決のため臨機応変に対応策を考える」

文化なので良し悪しではなく、そっくり真似てもうまくいかない。用意周到は大切だが、時には柔軟に、融通無碍に構えたほうがいいこともある。先日、授業でお茶の先生を呼ぼうと相談したら、助手が最低4人は必要、畳がなければダメ、水屋の場所も確保してほしい、と難題を吹っ掛けられてしまった。そこまで完璧にやらなくても、初めて日本の茶道に触れる学生に、茶道のちょっとした作法、その心だけでも伝える方法はないものか。素人が何を言うかと叱られるかもしれないが、型を守るのも、度が過ぎると型の中で窒息してしまう。足踏みする技術移転の反省がだぶって見える。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年4月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。