宇佐美典也氏の「都民ファーストの会の綱領があまりに酷いので勝手に修正した」というエントリーが盛り上っていたので、私見を申し上げることをお許しいただきたい。
文章で伝えるということ
「文章を書く」とはなにを意味するのか。自分の承認欲求を満たすために、主張を発信したいという人もいるだろう。これは、Facebookやインスタでイイネをもらいたいのと同じ欲求に近いと思う。
ここで注意しなければいけないのは、その文章を誰に向けて発信しているかである。Facebookやインスタは自分メディアだから、好きな情報を発信すればよいだろう。自己主張しようが、専門性を駆使して多少難解になったとしても気にすることはない。ところが、他人に読ませることが目的になるとそうはいかない。
対外的に発信する記事が、自己主張に満ちて専門的で、わかりにくかったらどう思うだろうか。まずは多くの人が目にすることを意識しなければいけない。次に立ち位置をよく考えたうえで文章を考える必要性が生じるだろう。
それでは再度確認したい。「文章の目的」とはなんだろうか。文章にはいくつかの目的がある。「認知や理解を深める」「相手を説得する」「記録として残す」など、いくつかの目的がある。そのなかで、最も大切なことは、「人の記憶に残り行動を促すこと」ではないかと考えている。
文章は読ませることで、読者のイマジネーションを増幅させることができる。例えば、目の前に新車のカタログがあったとしよう。新車のカタログには、読者の想像力を刺激する言い回しが効果的に使われている。
「この車に彼女を乗せたら喜ぶかな」、「この車で家族旅行に行ったら楽しいかな」、「気の合う仲間とドライブに出かけたいな」。読者のイマジネーションを膨らませることができたら、カタログの目的は達成できていることになる。
つまり、カタログに書かれている文章は正しいということなる。文章で動機付けられていれば、次の行動を促すことは難しくない。既に購買意欲が刺激されているからである。
都民ファーストの会の「綱領」は
魅力的な文章とは、文法が正しい文章とは限らない。少々乱暴で、文法の間違いなどがあっても気にすることはない。学校の教科書に出てくるような、よどみのない文章もステキだが、なにも記憶に残らないことがある。
これは、形式にとらわれているため、読者の心に影響力を与えるという視点が抜けているからである。キレイすぎる文章は体裁を整えることに力点が置かれているため、気持ちがはいりにくく相手に伝わらない。
おときた氏は、自身のブログのなかで次のように答えている。
「都民ファーストの会の綱領は、やや情緒的だと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、こうした個性・らしさが大切なのだと思います」
その通り、「こうした個性・らしさが大切」なのだと思う。綱領自体は、宇佐美典也氏が指摘するように、表現や論理構成が甘いかも知れない。しかし、文章の目的とは「人の記憶に残り行動を促すこと」である。そのように考えれば、都議会議員選挙の結果が一つの答えになるのだと思っている。
「綱領」の最後に、「今日よりも明日、明日よりも未来に希望がもてる社会を描くため、私たちが『東京大改革』をすすめていく」と書かれている。「東京大改革」をすすめていくことが、彼らのビジョンなのだと理解できる。この難しい壮大なビジョンの実現に取り組まれることを期待し、僭越ながら、おときた氏の健勝をお祈り申し上げたい。
参考書籍
『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた? 』(ワニブックスPLUS新書)
尾藤克之
コラムニスト
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