平和主義で平和は守れるの?

池田 信夫

朝鮮半島が危ない情勢になってきました。きょう北朝鮮の軍事パレードがあり、核実験をするともいわれています。本当にやったら、アメリカが挑発とみなして緊張が高まるでしょう。どっちにしても金正恩委員長の考えることは普通ではないので、いつ日本にミサイルが飛んできても不思議ではありません。

でも安保法制のとき「戦争はやめろ」とデモしたガラパゴス憲法学者のみなさんは、今回はおとなしいですね。今こそ北朝鮮に行って、金正恩に「憲法第9条があるんだから戦争をやめろ」と説得したらどうでしょうか?

平和主義は英語ではpacifismといいますが、日本語とは違って攻撃されても抵抗しない思想で、大きくわけて次のような考え方があります。

  1. 攻撃してきたら降伏する:軍備をもたないで、ミサイルが飛んできても反撃しないで降伏する。それ以上は相手も攻撃しないので、犠牲は少なくてすむだろう。
  2. 仲よくしたら戦争は起こらない:日本が敵意をもつと向こうは攻撃してくるが、憲法で「戦争しないで仲よくする」と書いておけば、北朝鮮は攻めてこないだろう。
  3. 他国の戦争に巻き込まれない:アメリカの戦争は、ベトナム戦争やイラク戦争など失敗が多い。これに日本がつきあわないように「集団的自衛権」を使えないようにして、戦争はアメリカにやってもらおう。

1のような「一方的非武装主義」は宗教的な信念で、日本にはほとんどありません。シールズの学生などには2が多いと思いますが、これは「戦争は起こらないだろう」と信じているだけで、起こったらどうするのかという問題への答にはなっていません。友達づきあいで仲よくすることは大事ですが、北朝鮮が友達になってくれるとは限りません。

憲法学者や朝日新聞は3で、アメリカの軍事力にただ乗りしようというものです。これ自体は合理的な考え方で、たとえば電車賃を払わないで電車に乗れるなら乗ったほうが得です。でもみんながただ乗りしたら、電車のコストがまかなえなくなります。

日米のような二国間でただ乗りすると、アメリカがいざというとき守ってくれるかどうかはわかりません。日本は1972年に「集団的自衛権はいやだ」と閣議決定して米軍を守らないと決めましたが、アメリカはこれに不満なので、ずっと日本に「東アジア防衛の責任分担」を求めてきました。

そこで安倍首相は2014年に閣議決定を変えて、集団的自衛権を条件つきで認めることにしました。これは野党も最初は了解していたのですが、憲法審査会で自民党の呼んだ長谷部恭男さんが「安保法制は憲法違反だ」といったので、大騒ぎになりました。

それは当然です。憲法では「戦力」を認めていないのだから、自衛隊も米軍基地も憲法に違反していることは明らかです。だったらどっちもやめよう――ということにはならないで、「個別的自衛権」ならいいというのが憲法学者の奇妙な意見です。個別に自衛する戦争は戦争ではないのでしょうか?

もちろん戦争はよくないことですが、「よくないからやめよう」といっても、やめるとは限らない。日本国憲法は国内法なので、北朝鮮がそれに従うことはありません。法律に従わないと警察に引っ張られますが、国際的な警察はないので、世界中の国が従う法律はありません。平和主義も憲法第9条も理想としては美しいが、平和を守ることはできないのです。