賛成か反対か言え、と問い詰められた時に、さて、私は賛成派なのか、それとも反対派なのか。
そのいずれでもない、私は修正派だ、などと言っても、読者に出来るだけ分かりやすい紙面を作るためには、賛成か反対かのどっちかに決めなければいけないようだ。
いや、それは困る、どっちかに極め付けられたのでは私が困る、と言っても、それなら結構です、と言われてしまいそうだ。
昨日、毎日新聞の取材を受けた。
いつ、どんな記事が載るのか分からないが、結構中身にわたることをしっかり語っておいた。
先日、民進党の法務部門会議で語った内容についても言及しておいた。
私が民進党の法務部門会議に出たことで波紋が拡がっているような話があったが、私の方には何の連絡もなければ何の影響もない。知る人ぞ知る、というところだろうが、事実は、誰も知らない、誰も関心がない、ということだろうか。
まあ、現在の私の存在はその程度のものだ、ということである。
もう少し重くなればいいのだが、と思うのだが、これは仕方がない。
自分で自分の役割をそれなりに作れる時が時にはあるものだが、今はそういう立場にはない。
私の役割を作るのは、すべて時であり、周りの人だ。
時が来れば、それなりに私にも役割が廻ってくる。
いつになるかは分からない。
どういう役回りになるのかも分からない。
結局何もありませんでした、ということになるかも知れない。
世の中は、大体こういうことばかりである。
しかし、私は、大事なことを知っている。
願いは、願わなければ絶対に叶わない、ということである。
願ったからといって必ずしも叶うわけではないが、願わなければ願いは叶わない。
まあ、当たり前のことだが。
私の当面の願いは、国会に参考人として呼ばれるくらいの存在になることである。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年4月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。