藤原 新也
三五館
2016-12-21

 

物語は、主人公が精神科医のカウンセリングを受けるシーンから始まる。

31歳になる主人公はオンラインゲーム中毒で、休日には20時間以上ぶっ続けでパソコンに向かうほどの重症だ。本人はそうなってしまう理由として、自分に対する自信の無さを挙げる。自立した男としての自覚も自信もなく、31歳になっても異性と良好な関係が築けない。かつて人生で一度だけ付き合った彼女からは「あなたの優しさは強さからくる優しさではなく、弱さからくる優しさだと思います」と捨て台詞を残されて去られてしまったほど。

そういう実社会での弱さをカバーするために、ゲームでの過酷な戦いを重ね、男としての強さを取り戻そうとしているのだと、おぼろげながら感づいているためだ。

そして、カウンセリングを通じ、その弱さの原因は主人公の中の父親像の欠如にあることが明らかとなる。6歳の頃に父親と死別して以来、主人公は父親という存在を知らぬまま成長してきた。

そうした傾向は、現在の青年層に顕著にみられるものだとカウンセラーは述べる。

「いや個人主義というものが集団の中で機能している西欧の場合と日本とでは異なります。戦後にあっても日本型の集団はかつての家族主義や武家社会の滅私奉公の遺伝子を色濃く引きずっており、ひとたび集団に帰属すると、そこでは個人が抹殺される傾向にあります。日本の雇用制度が長い間、終身雇用、年功序列だったことがそのことをよくあらわしています。
(中略)
そういう日本独自の就労環境の中で男性が男性性を維持することが難しくなったということです」

カウンセラーは主人公に「どこかに実際に旅をしてみれば、ゲームでは見つけられなかった強さを見つけられるかもしれない」とアドバイスし、旅の目的地として、父親の出身地である英国オークニー諸島をすすめる。

スコッチ好きなら「ハイランドパーク蒸留所のある島」として名前くらいは聞いたことがあるだろう。逆に言えばそれくらいしか見所のない、北風のふきすさぶ寂れた島だ。

あらかじめ手配していたガイドに会った主人公は、その異様な風体に不安を抱く。よれよれの服を着て、一見するとまるでホームレスにすら見える80代の老人だったからだ。この老人に本当に一週間のガイドがつとまるのだろうか。
不安を抱きつつ、老人の運転する60年もののオンボロ車に乗って、青年の自分探しの旅が始まる。

島での様々な非日常的体験を通じ、徐々に主人公の心境に変化が生じていく。そんな彼に、老人は自身の意外な過去について語り始めるのだった。

筆者の周囲にも「子どもと遊ぶより一人でゲームしている方が楽しい」と言って一人ゲームに向かう同世代は何人もいるから思い当たる節はある。どうやら幼少時の経験というのは自身が子育てに回る際に影響してしまうものらしい。そういう意味では本書は、企業戦士として人生を全うした最初の世代である団塊と、その子供たちである団塊ジュニアをイメージしているようにも思われる。

子育てに悩める世代におススメしたい一冊だ。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2017年4月19日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。