シェークスピアの代表作「ハムレット」は、父であり先の国王を叔父のクローディアスに殺害されたハムレットが、クローディアス(現在の国王)に復讐をしようと試みる物語です。それを太宰治が自己流に翻案したのが「新ハムレット」という物語です。
自分に反抗的なハムレットに対し、クローディアスは「二人きりでゆっくり話してみる」ことを試み、二人きりになると次のように語ります。
あざむいて下さい。せめて臣下の見てゐる前だけでも、君の実感をあさむいて下さい。わしと仲の良いふりをしてゐて下さい。いやな事でしょう。くるしい事です。でも、その他に方法はありません。王家の不和は、臣下の信頼を失ひ、民の心を暗くし、つひには外国に侮られます。
随分シェークスピアの原作とは趣が異なると感じた人も多いのではないでしょうか?私は、「何とも極めて巧みな日本的な翻案だなあ〜」と感心してしました。
いわゆる大人であるクローディアスが純真で未熟な青年ハムレットに対し、「私を憎んでも構わないけど、お互い公の立場というものがあるじゃないか。せめて、公の場では仲のいい振りをするのが、国王である私と王子である君の、国に対する義務なのだよ」と諭しているのです。
よく「公私混同」とか「公私の区別」と言われます。「公私の区別」をつけることができず「公私混同」をしてしまう人は未熟者(場合によっては悪人、犯罪者)とみなされるのが社会常識であり、日本社会においては強い規範性を持っています。
会社に遅刻した言い訳に「出掛けに夫婦喧嘩をしまして…」などと口にしようものなら、周囲から社会人としての自覚のない未熟者とみなされるでしょう。出世に大きなマイナスになること間違いなしです。
ところが、昨今、女性問題等が原因で公職を辞任する国会議員が多くなりました。不倫問題で経済産業政務官という重責を辞任した中川議員もその一人です。
国会議員というのは、国権の最高機関である立法府である国会の構成員という極めて崇高かつ重大な公的責任を負っています。国会議員のことを英語で「Law Maker」と呼ぶように、まさに法律を作るという大仕事を任されているのです。
女性問題という極めて私的な問題だけで、このような崇高かつ重要な公的責任を放棄してしまうのは、ある意味「公私混同」の極みではないでしょうか?
以前、育休取得宣言をしていながら女性問題が発覚した宮崎議員は、育休取得によって公的責務を免れようとしていたにもかかわらず女性問題があったのですから、辞任するのは当然でしょう。公的責務を遂行する意志が極めて希薄で無責任は人に崇高かつ重大な仕事を任せることはできませんから。
ところが、公的責務とは全く関係のない私的な事情だけで、崇高かつ重要な公的責務を放棄してしまうのは、「公私混同」の極み、もしくは最初からご自身に課せられた重大な公的責務を自覚していなかったのではないか、と疑いたくなります。
国会議員はタレントのような人気商売ではありません。国益のためであれば、自らの人気を失墜させてでも遂行する義務があるのです。
自身の選挙区に不利益になっても国益に叶う事であれば進める義務があるのです。
今の国会議員のみなさんだけでなく、立候補を考えている方々にも、国会議員に課せられた崇高かつ重大な責務を、今一度しっかりと自覚していただきたいと思う今日この頃です。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年4月25日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はウィキペディアより)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。