「統治権」の問題は、実はけっこう奥が深い。
逆説的なのだが、権力に抵抗することをアイデンティティとして掲げる護憲派の戦後日本の「抵抗の憲法学」(石川健治・東大教授)こそが、「統治権」なる古めかしい概念を温存し続けている。なぜか。
「抵抗」する相手が必要だからだろう。「抵抗」する相手が「主権者・国民」様では、困った事態である。何としても「主権者・国民」様には、憲法学者の指導にしたがって、共に権力者に「抵抗」していただきたい。「統治権」がなかったら、権力者を「主権者・国民」様と区別できなくなってしまう。
たとえば自衛権も、政府が行使する「国権」なら「統治権」の一つになる。「主権」ではない。となると、自衛権は「抵抗」の対象である権力者側の権利として、何とかして「制限」していかなければならない・・・。
「主権者・国民」様が自分自身で自分を守る「民衆蜂起」なら、OKだ。しかし国民を守るためだと言って、「政府=統治権の行使者」が自衛権を行使するのであれば、「制限」しなければならない・・・。
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それにしても、もう少しクールな見方はできないのだろうか。たとえば、「統治権」などというものは、ない。ただ芦部先生の基本書で登場するだけで、実は存在していない、といった冷静な見方をとってはいけないのだろうか。
アメリカ合衆国のように、憲法で政府に与えられた権限(powers)を、政府は人々のために正しく使う責務を持っている、それが政府というものだ、という考え方はダメなのだろうか。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」、つまり国民の「信託」を信頼して、政府が憲法11条・13条等で規定された権利を国民に保障するための安全保障政策をとる、その福利は国民が享受する(国民が何も享受しない安全保障政策がダメな安全保障政策で、個別的であるか集団的であるかは安全保障政策の是非に関係ない)、といった考え方はダメなのだろうか。
自衛権は憲法に登場しない概念で、それは本来は国際法の概念なので、正当な自衛権の行使は国際法の基準にしたがった必要性・均衡性の審査で管理するのが望ましく、憲法9条あたりを何度もひっくり返して裏から解釈したような話で強引に自衛権を制約する方法を捻出しなくてもよい、といった考え方ではダメなのだろうか。
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(以下は参考付属資料として書きました。細かい話にご関心がある方のみどうぞ。)
なお「統治権」についてだが、ちなみに芦部信喜自身は、次のように説明している。
「『統治権』とは・・・立法・行政・司法に分けられる国家権力を総称した概念である。ドイツでは統治の諸権能(Herrschaftsrechte)という複数形で使われる言葉がそれに当たる。」「国権も、日本国憲法(41条・9条1項参照)の場合には、統治権と同義に解してよいが、明治憲法時代の美濃部憲法学のように、国家法人説をとる学説の場合には、法人格を有する権利(統治権)の主体としての国家の意思力が『国権(Staatsgewalt)』と呼ばれた。これは単一不可分であり、この国権すなわち国家の意思力に基礎づけられた諸権利、ないしこの国家の意思力を表現する諸々の作用が、立法・行政・司法という『統治権』であると考えられた。国家法人説をとらない宮沢憲法学では、「国家の諸権利の背後に不可分の国権を認め」る学説は、「理論的に正確でない」として、排斥されている。」(芦部信喜『憲法学I憲法総論』[有斐閣、1992年]、156頁。)
「イェリネクに代表される国家法人説は、法人格を有し権利の主体である国家の意思を国権、この国家意思の属性としての最高独立性を主権、国家意思の内容をなす諸権利(立法、行政、司法等)を統治権と呼んで区別し、主権の概念をその歴史的な本来の意味に限定して用い、概念の混用をいましめた。」(同上、225頁。)
ちなみに美濃部の国家法人説と距離を置く宮沢俊義=芦部信喜の通説では、統治権の背後に国権があるという美濃部の説明を相対化するというが、それは些末な問題ではある。芦部は、「国権」「主権」「統治権」の概念構成を、引き継ぎ、上手く活用したのだ。
美濃部達吉は、「国権」「主権」「統治権」を区別していないという理由で、天皇神権主義(天皇こそが国家だとする説)を強調する穂積八束・上杉慎吉を批判した。区別しない「天皇=国家」の上杉派は、1935年天皇機関説事件で美濃部を政治的に攻撃して社会的に失脚させた。戦後の「抵抗の憲法学」のアイデンティティの源泉と言ってもいい重大事件だ。そこまではわかる。
だがだからといって、これらの概念構成は、日本国憲法の時代でも、本当にを引き継がなければならないものだということになるのか。
芦部は、日本国憲法典に登場する「国権」は、「統治権」のことだ、と断言し、9条1項と41条を参照する。つまり芦部は、それら二つの条項の英文(こちらがオリジナルだ)が、「sovereign right」と「state power」の二つの違う概念であることや、憲法上の「国権」が本当に「Staatsgewalt」なのか、といった疑問には、一切注意を払おうとはしない。GHQのアメリカ人たちによる起草では異なっていた二つの語句を、「国権」というドイツ国法学の概念で揃えて翻訳する措置をとったのは、美濃部らの憲法学に親しんでいた当時の日本人たちだ。そのようなご都合主義的な操作を理由にして、ドイツ国法学の流儀で「国権」を解釈していこうとするのは、いささか自作自演の陰謀めいた話のようにも感じる。ただし、それでも、「統治権」なる語は、憲法典には登場しない。日本国憲法に、芦部の基本書の冒頭の概念構成は、ない。
なお、「国家権力そのもの」である「統治権」なるものが、「主権」の意味の一つだという芦部の見解は(芦部、前掲書、220-221頁)、ドイツ国法学=日本の憲法学の解説としてはあたっているのかもしれないが、そこから離れると、決して標準的な議論とは言えない、と思う。(篠田英朗『「国家主権」という思想』(勁草書房、2012年)、Hideaki Shinoda,Re-examining Sovereignty [London: Macmillan, 2000]などを参照せよ。)
なお芦部信喜の「統治権」概念の使用については、管見の限りでは、工藤達朗「『国権』と『統治権』―美濃部とイェリネクの一相違点について―」DAS研究会『ドイツ公法理論の受容と展開―山下威士先生還暦記念』(尚学社、2004年)が、決定版である。そこで工藤は、幾つかの興味深い点を明らかにしている。
1.美濃部がイェリネクどおりに「統治権は単一不可分」という学説から、立作太郎との論争の時期にあっけなく自分の主張にあわせて「統治権は複数可分」という学説に切り替えた。
2.芦部は、美濃部に従って「統治権はHerrshaftrechte」と繰り返し説明したが、それは学説変更後に美濃部が行った概念操作に気づかず、しかも思い込みからよく確かめなかったためと思われ、イェリネクが使っていたのは実は「Herrschergewalt」であった。
3.これらはそもそも美濃部がイェリネクが使った概念が明治憲法の「統治権」だと「早合点した」ことに起因する。「美濃部には、国家の一般理論と明治憲法の解釈論の間に厳密な区別がなかったのである。すべては美濃部の独り相撲であった。国家法人説の論理的帰結でもなんでもない。芦部の誤解は、その独り相撲に相手がいるはずだと思って踊らされたにすぎないのである。」(139頁)
編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年5月2日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は国立公文書館ニュースより)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。