私が小泉進次郎議員に嚙みついた理由〜教育無償化への障害は財源ではない

足立 康史

5月3日安倍首相メッセージを受けて、憲法9条改正を巡る大論争が始まるかと思いきや、憲法9条よりも併せて発表された教育無償化について蜂の巣をつついたような大騒ぎになっています。日本の民主主義を真っ当にするためにも良い機会ですので、少し落ち着いて私の考え方を書いておきたいと存じます。

1.憲法改正の主体は主権者たる日本国民

まず憲法論議で一番大切な点は、憲法改正をする主体は主権者たる日本国民だということです。もちろん発議をするのは国会ですが、あくまでも発議であって、可否の判断をするのは国民であり国民投票で決します。内容において関連する事項毎に区分し、改正事項毎に一人一票、投票総数の過半数で決します。

仮に自衛隊加憲(9条3項)と教育無償化の拡充(26条)の2点について国民投票を行うとすれば、日本国民は一人2票を持ち、それぞれに賛否を示すことができます。教育をダシにするな!エサにするな!とか、抱き合わせ改憲!といった批判は、民進党の猿芝居でおなじみの“レッテル貼り”に過ぎません。

2.教育無償化3つの論点

その上で教育無償化について、3つのレイヤーに分けて論点整理をしておきたいと存じます。ネットで検索するだけでも、大きく3つの批判が目につきます。1)法律で実現できるなら憲法改正は不要では?、2)教育無償化最大のハードルは財源でしょう、3)ランクの低い大学まで無償はやり過ぎ!の3つ。

(1)「法律で出来る」論

第一の教育無償化「法律で出来る」論は、民進党の常套句ですが、大事なことは、そう言う人に限って法律を作ろうとしません。日本維新の会は昨年来「法律で出来る」論な人々用に「教育無償化法案」を国会に提出済みですが、「説明に行きたい」と申し入れても民進党は梨のつぶて、どうしようもありません。

憲法に教育無償化を規定する意味については、野村修也弁護士が端的に説明して下さっています。曰く、「少なくとも授業料無償化に関する立法裁量権を制限し、教育無償化を安定的な制度にしたければ、改憲の意味はある。論ずべきはその当否だ」と。当に、我が意を得たり、維新の会の考え方そのものです。

残念だったのは、社会政策に理解のあるはずの駒崎さんのような識者まで、アメに騙されるな、バーダーだ、と騒いでいることです。繰り返しになりますが、国民投票は改正事項毎に一人一票です。一つでも自分の気に入らない事項が含まれたら発議を認めない、では、国民主権に反すると言わざるを得ません。

そもそも駒崎さんは、国民投票の意義を理解していません。自民党政権でも、民主党が政権をとっても、待機児童も教育格差も是正されていません。だからこそ、政党政治を乗り越えて、自らの手で教育無償化を勝ち取ろう!、国民に判断してほしい、というのが、昨年3月の維新提案であり、安倍提案なのです。

大事なポイントは、教育無償化法案(法律)に反対の政党や国会議員であっても、国民投票の発議事項の一つに教育無償化を含めること(発議)には反対できない、そうした議員が多数いる、ということです。ちなみに自民党も民進党も、教育無償化法案には“反対”ですよ。深刻な理由は、追って説明します。

(2)「最大のハードルは財源」論

第二の、教育無償化最大のハードルは財源、というのは、その通りです。その証拠に、自民党の小泉進次郎議員、民進党の玉井雄一郎議員ら既存政党の若手は財源論ばかり。では、どうして小泉議員は保険と言い、玉木議員は国債と言うのか。既存財源は全て既得権者に張り付き、ピクリとも動かないからです。

教育無償化法案が国会で実現しない理由は、当に既得権なのです。財源には限りがありますから、教育に公費を投じようとすれば、教育以外の予算を見直さなければなりません。そうして国会議員が睨めっこして遊んでいるのを横目に、痺れを切らした維新の会が、教育無償化を国民の手で!と訴えてきたのです。

維新の会は、財源は行財政改革で生み出すべき、大学以外、特に就学前の無償化は地方行政の努力で出来る!と訴えています。大阪では増税なしで私立までの高校無償化を実現し、幼児教育の無償化も大胆に進めつつあります。東京も豊洲市場6千億をドブに捨てる余裕あるなら待機児童対策に使えばいいのです。

しかし、大阪以外の自治体も国も口ばかりで一向に実行しません。東京で街頭演説する際、私はこう訴えています。①東京都に大阪改革を真似しろとは言わない、②しかし3つだけ真似してほしいものがある、③それは「自民と維新の二大政党」、「都庁改革」そして「教育無償化」!、こう訴えているのです。

なお、私が小泉進次郎議員に嚙みついたのは、その姿勢が看過できなかったからです。増税を「保険」として現役世代に幅寄せし高齢者におもねる「逃げ」の姿勢に加え、小泉さんには雇用情勢の改善を背景に引き下げられる雇用保険料を国民から取り返そうとする意図があった。財務省の考えそうなことです。

(3)「大学まで無償はやり過ぎ!」論

実は、教育無償化の議論の最大の焦点は、財源論ではなく「大学まで無償はやり過ぎ!」論です。これは、本当に難しい議論で、今のまま国民投票に突っ込んだら、9条3項への自衛隊明記は実現しても、教育無償化は絶対に実現しません。既存の秩序を変えるというのは、そんなに簡単なものではないのです。

大学無償化の是非について改めて考えたい方には、4月26日にEテレで放送された「オイコノミア もしもマタヨシ国が生まれたら“教育”を考える編」が大変有意義でした(過去形ですいません、汗)。又吉直樹さんと大阪大学の大竹文雄先生らが大学教育の無償化について議論、論点が整理されています。

「オイコノミア」の議論をここで再掲する余裕はありませんが、ネットにはまとめ記事などもありますので是非ご覧下さい。日本で教育無償化を実現するのが如何に難しいか、教育とは何か、学びとは何か、といった点について、国際比較も含めて紹介されています。何れにせよ、大学については議論あり、です。

その上で、橋下徹氏を代表に結成した日本維新の会は、一に教育、二に教育、三四も教育、五も教育、との姿勢で政策実現に取り組んできたし、これからも取り組んでいきます。今回の安倍首相の提案は、教育について考えるチャンスです。アホな反対論に足を取られず、国を前に進めて参りたいと存じます。


編集部より:この記事は、衆議院議員・足立康史氏の公式ブログ 2017年5月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は足立氏のブログをご覧ください。