殺害された「白衣の司教」は誰?

長谷川 良

ローマ法王フランシスコは12日、ポルトガルの聖母マリア降臨地、ファティマへの巡礼訪問を始めた。聖母マリアが降臨し、3人の羊飼いに3つの予言を伝えて今年5月13日で100年目を迎えた。世界各地から毎年、数多くの巡礼者がファティマを訪ねる。ローマカトリック教会の聖母マリア降臨地としてフランスの巡礼地ルルドと共に有名だ。

▲フランシスコ法王のファティマ訪問のロゴ(バチカン放送のHPから)

このコラム欄でも数回、「ファイティマの予言」について紹介したが、バチカン放送独語電子版が11日、フランシスコ法王のファティマ巡礼訪問に関連し、“第3の予言”について報じている。

聖母マリアは1917年5月13日、ファティマの3人の羊飼いの子供たちに現れ、3つの予言をした。特に「第3の予言」については世界の終末を予言しているという憶測が流れたが、新ミレニアムの西暦2000年、教理省長官であったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(前法王べネディクト16世)が「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺(1981年)を予言していた」と発表し、「ファティマ」問題に終止符を打った。しかし、それ以降も「バチカンは第3の予言を依然、封印している」として公表を求める声が教会内外にある(「100年目迎える『ファイティマの予言』」2017年3月27日参考)。

フランシスコ法王は13日、聖母マリアから3つの予言を託された3人のうち、その直後に亡くなった2人の羊飼い、フランシスコ(1908~1919年)とヤシンタ(1910~1920年)の列聖式を挙行する。

3人目の羊飼い、ルチア(1907~2005年)がポルトガル教会の司教に願われて書いた3つの予言の内容についてバチカン放送が報じている。それによると、“第3の予言”は以下の通りだ。

Darin beschreibt Lucia dos Santos die Vision von einem „in Weis gekleideten Bischof, wir hatten die Ahnung, dass es der Heilige Vater war“. Weiter schrieb sie wortlich: „Da wurde er von einer Gruppe von Soldaten getotet, die mit Feuerwaffen und Pfeilen auf ihn schossen.“ Er starb.
“白衣を着た司教が鉄砲や矢を所持した兵士の一群に襲撃され、殺害された”という。3人の羊飼いはその“白衣の司教”をローマ法王と思ったという。

ルチアが白衣の司教をローマ法王と受け取ったとしても不思議ではない。ラッツィンガー教理省長官は、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言していた」と発表した。同事件は1981年5月13日、トルコ出身のテロリスト、アリ・アジャがバチカンのサンピエトロ広場でヨハネ・パウロ2世を銃撃した出来事だ。ファイティマの予言からちょうど64年目の日だった。

しかし、ヨハネ・パウロ2世は銃撃を受けたが死なず回復した。パウロ2世は後日、「聖母マリアが自分を救ってくれた」と述べ、健康を回復するとファイティマに巡礼し、感謝の祈りを捧げている。バチカン側はその後、「ヨハネ・パウロ2世の暗殺事件こそファティマの第3の予言内容だった」と強調してきた。

もちろん、白衣の司教はローマ法王を意味すると受け取れる。そのローマ法王ヨハネ・パウロ2世は暗殺の危機に瀕した。しかし、幸い、暗殺されなかった。しかし、「第3の予言」は“殺害された”と記しているのだ。

繰り返すが、第3の予言は「白衣の司教が殺された」というが、白衣を着たローマ法王のパウロ2世は殺されなかったのだ。バチカンの解釈と「第3の予言」の内容に肝心の部分が一致していない。

それでは「白衣の司教」がヨハネ・パウロ2世でないとすれば、一体誰だろうか。ファティマの予言を受け取ったルチアは貴重な証言を残している。①「聖母マリアは第3の予言を1960年前には公表してはならないと述べた」。②(3人の羊飼いの1人)ヤチンタは病床で、「隠れたイエスに会えずに死ななければならない」と嘆いたという。③ルチアは親戚関係者に、「第3の予言は喜ばしい知らせです。決して天災や戦争などの内容ではない」と証言している。以上、ルチアの証言から、「白衣を着た司教」とは再臨のイエスを意味していたと推測できるわけだ。

ヨハネ・パウロ2世は第3の予言を自身に起きた内容と受け取ったが、同2世はローマ法王であっても「隠れたイエス」ではない。そして暗殺されなかった。バチカンは第3の予言の「隠れたイエス」について恣意的に隠蔽してきたのだ。

ここでイエスの誕生半年前に生まれた預言者・洗礼ヨハネについて少し説明する。洗礼ヨハネはイエスが救い主であると教えられた当時唯一の預言者だった。しかし、洗礼ヨハネは後日、弟子をイエスの元に遣わし、「あなたは来るべき方ですか」と尋ねさせている。洗礼ヨハネはイエスが誰か分からなくなってしまったわけだ。

洗礼ヨハネがイエスをメシアと最後まで証言していれば、イエスは十字架にかからずに生きてその使命を果たすことができたかもしれない。なぜならば、洗礼ヨハネは当時、ユダヤ人社会では高い評価を受け、彼こそ、もしかしたら来るべき救い主ではないかと思われるほどの人物だったからだ(「なぜ『洗礼ヨハネ』は斬首されたか」2012年6月24日参考)。しかし、洗礼ヨハネはイエスを理解できず、最後はあまり意味のない出来事で命を失った。

少し飛躍するが、ヨハネ・パウロ2世が「第3の予言」内容を正しく理解し、隠れたイエスの降臨に備えることができていたならば、ひょっとしたら全く新しい状況が生まれたかもしれない。換言すれば、ヨハネ・パウロ2世は“隠れたイエス”の証人となるべき預言者の使命を有していたローマ法王だった可能性があるのだ。

「白衣の司教」が再臨メシアと考えるならば、再臨主は“兵士グループ”によって殺害されるというのだ。その予言内容は近い将来起きることか、それとも既に起きてしまったことだろうか。「ファティマの予言」から100年目を迎えた今日、「第3の予言」内容を再検証すべきだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年5月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。