特に若者が怒っているのが、年金問題は「公的年金は金融商品ではないので、金銭の損得は問題ではない」という部分ですが、これはまちがいとはいえません。どんな格差も、それが正当化できるなら問題ではありません。アメリカで人口の1%に富の50%が集中しているとしても、それがフェアな競争の結果なら悪くないのです。
今のおとなの得は、みなさんの世代の損です。今年生まれたこどもは60歳の老人と比べると、生涯所得で1億円損するといわれています。この「金銭の損得」は厚労省も認めていますが、老人は1億円の得だから、1億円-1億円はゼロ。社会全体としては得も損もしていません。経済学のことばでいうと、年金は世代間の所得移転にすぎないのです。
今後ゼロ成長に近い状態が続いても資産は蓄積され、みなさんの世代はそれを相続するので、今より絶対的に貧しくなるとは考えられません。社会全体では今より豊かになります。可処分所得(税・社会保険料を引いた所得)は絶対的に減るおそれが強いが、これも労働者の損は年金受給者の得だからプラマイゼロ。豊かな世代が、貧しかったお年寄りに贈与するのは当然だ、というのが厚労省の考え方です。
今のまま日銀が国債を買い続けるのは無理なので、いずれ「出口」が来て金利が上がるでしょう。そのとき国債が暴落するかもしれないが、それも日銀(というか政府)が銀行に無限に融資して救済すれば乗り切れるかもしれません。しかし将来世代の超過負担は、どうやっても避けらません。これはいずれ税金や社会保険料の値上げになります。
要するに年金の負担は価値判断の問題なので、金銭的な損得より「すべての国民が安心して暮らせる」ことに価値があると国民が思えば問題ではないのです。逆にいうと、国民がこの所得移転に賛成していないと、民主主義では許されません。特に超過負担するこどもの世代が、自分の負担を決められないのはおかしい。
もし小学生のみなさんがこういう問題を理解して1票を投じることができれば、今のように社会保障の借金がふくらむことはないでしょう。それは国民主権を定めた憲法に違反する疑いが強いので、憲法を改正するなら、こういう部分を見直してほしいものです。解決策としては、こどもにも参政権を認めて親がこどもの数だけ票をもつなど、いろんな工夫が提案されていますが、どれも実現しません。その制度設計をするのが老人だからです。
その意味で年金は金銭の損得の問題ではなく、民主主義のあり方の問題です。今の世代が将来世代より1億円多く国からもらう理由は本当にあるんでしょうか? 可処分所得が減るような社会で、労働意欲は維持できるんでしょうか? 政治家やマスコミのみなさんにも、まじめに考えてほしいものです。