MIT(Massachusetts Institute of Technology)のBroad研究所のメンバーがPrecision Medicine (プレシジョン医療)に関する講演をした。あまりにも抑揚のない話し方に加えて、話の内容が、一般的なゲノム解析と分子標的治療薬選択に関する、どこにでもあるような、目新しさのない話だったので、思わず居眠りをしてしまった。細胞株の抗がん剤に対する感受性(効きやすさ)と細胞での遺伝子発現情報を比較したところ、抗がん剤耐性(抗がん剤が効きにくいこと)とMDR(Multi-Drug Resistance)の高発現との関連が見つかったと誇らしげに話をしていた。感心して聞いていた人もいたが、私は心の中で「そんなもん、40年くらい前に見つかってるやないか!」と大阪弁でつぶやいた。
このタンパク質は、薬剤を細胞の外に吐き出す役割をしているポンプのような働きをしており、これがたくさん作られると抗がん剤を効率よく細胞の外に出すため、薬が効きにくくなるのだ。この講演内容レベルの「がんプレシジョン医療」ならば、日本で体制が構築できれば、簡単に追い越すことができるように感じた。
この講演で一点だけ注目したのは、SNSを通した、患者さんとの直接的なコンタクトを行うネットワークである。一般的には、患者―医師(医療機関)-研究機関の関係になっており、患者さんが直接、研究者と連絡を取ってゲノム解析を依頼することはない。しかし、このネットワークでは、研究機関が患者さんと直接コンタクトした上で、医療機関が間に入ってがん組織などを提供し、研究機関がゲノム解析を行い、そのデータを元に、分子標的治療薬の情報(治験を含めて)を提供していると話をしていた。すでに、2000人以上の患者さんと直接SNSで交流をしたとのことだ。この2000人は、全米に広がる992の医療機関を受診しており、721医療機関については、患者さん一人だけだそうだ。最先端の情報を持つ研究者・研究機関が、医療機関の頭越しに、患者さんと交流する新しいスタイルだ。
当然ながら、患者さんには、生きる権利、生きる希望をつなぐ権利がある。情報網が発達している今、欧米での情報は、リアルタイムで日本に伝わる。私が、2年半前にTOPKという分子の阻害剤を報告した際には、「いつ、この薬剤の治療を受けることができるのか」という問い合わせが、日本を含め、世界中から多数あった。生き延びたいと必死な思いの患者さんや、親・妻・夫・兄弟・子供を救いたいと願う患者さんの家族は、目を皿のようにして新しい情報を探っている。残念ながら、医療現場の最前線にいる医師たちよりも、患者さんや家族の方が、最先端の医療情報に接していることが少なくない。
もちろん、「白衣を着た詐欺師たち」は、情報を加工して、自分たちの利益の方向に誤誘導することを怠らない。彼らは、口は上手だし、態度は丁寧で親切なので、患者さんや家族は、マニュアルに沿って治療方法などを淡々と説明する「ロボット医師」よりも心が休まるのかもしれない。
話を戻すが、SNSを利用した医療は急速に広がってくるように思う。この際、「摘出したがんの試料などが、誰に属するか」が大きな議論の対象となる。医師や医療機関は、患者さんや家族ががん試料の提供を求めた場合、それに抵抗することが少なくない。ゲノム解析などによって、新しい希望が広がる可能性が高くなってきている今、患者さんは生きる可能性をつなぐために、自分のゲノムを解析してもらう権利もあるはずだ。
自分のがんの情報を知れば、絶望が希望に変わる可能性が膨らみつつある。漆黒の闇で生きるのは辛い。わずかな灯りであっても、光が見える中で生きることができれば、どれだけ心が救われるだろうか。
心温まる、大きなスケールのプレシジョン医療を是非、日本で実現して欲しいものだと願っている。
編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。