いわゆる国際人権条約機関のひとつである「拷問禁止委員会(The Committee Against Torture)」が韓国政府に対して「2015年12月に締結した慰安婦問題に関する合意、すなわち日韓合意を見直すように勧告した」と報じられ、ネットを中心に驚きと怒りの声が上がっている。拷問禁止委員会がそもそも国連に属する機関ではない、という指摘もあった。そこで、筆者が英語の原文を入手して実態を調査し、わかったことを記載することで読者と正しい理解を共有したい。
まず、拷問禁止委員会の位置づけだが、確かに国連内部に属する機関ではないが、条約に批准した国々が自発的に条約の履行、すなわち、改善努力をモニタリングしていくための実行委員会のようなもので、一応国連の看板を担いではいる。「強制力を持つ権威」ではないが、条約批准国であれば、無視していい相手ではない。
それではそのような性質の委員会が批准国に「勧告」できるのか?委員会が発行した韓国に関する報告書に書かれているのは”Principal subjects of concern and recommendations”である。つまり、「主な懸念事項と推奨する対応」という意味だ。recommendationsを「勧告」と訳してしまうと、「勧告」という言葉にはもともと「強制」の意味がなくても、あたかも権威のある団体が上から目線で命令して来たような印象を与える。日本人は国連に「人類の英知の結晶」というような幻想を抱いているのでなおさらだ。さらに原文では、”should”を用いて、「批准国はxxxxすべき」という表現になっている。ここは「勧告」というよりも「意見/提言」と捉えるのが妥当だ。
このような報告書が出る前提として、まず、委員会から個別批准国に対して複数の改善必要事項が示され、批准国は一定の期間の後に取り組み状況を報告する。委員会はその報告を見直した上でコメントし、評価できる点は評価しながら、さらなる改善を求める。韓国が委員会に提出した改善進捗状況報告書には、不法入国で拘留された子供の扱いから、LGBTに対するヘイトクライム、被疑者の自殺にいたるまで、8項目について記載されており、日韓合意はそのひとつである。日韓合意だけの報告書ではない。言い換えれば、日韓合意は「拷問」と「虐待」の被害者を救済する、というコンテクストで語られているのだ。
この韓国の報告書は学生が書いたかと見まがうような簡単なものだが、日韓合意に最も大きなスペースを割いている。まず、最初のパラグラフで、韓国における慰安婦制度の被害者は平均年齢が90歳で、38人しか生存していない、と書いてある。しかしその後で、「これまでのところ、2015年12月28日の合意時点で生存していた46名の犠牲者のうち、34名が合意に賛成していることが確認されている」とも書いている。現在までにその34名中少なくとも32名がお金を受け取ったことがわかっている。生存者が46名から38名に減少していることから、この報告書が今年の4月以降に書かれていることがわかるが、論理的に、生存している38名の中にはお金を受け取った32名が相当数含まれているはずである。
しかし、そのことには全く触れられていない。それどころか、日本政府が約束通りに10億円を払ったことには全く触れずに、「日本政府が誠実に合意事項を履行する限りにおいてこの問題は2国間の外交問題としては最終的かつ不可逆的に解決する」と書いてある。まるで、韓国側はなんの義務も負わない片務的なものであるかのようで、さらに、わざわざ「慰安婦問題は多元的な側面を持っており、女性の名誉と尊厳の問題である上に普遍的な人権の問題である」と書いている。つまり、日韓合意で解決し得るのは「2国間の外交問題」だけだ、と言いたいのだ。
これを受けた委員会の返答(concluding observations)は、ざっと数えただけでも20以上の「懸念と改善必要事項」を挙げている。包括的で、的を絞ったものではない。「死刑を廃止しろ」「体罰を禁止しろ」というものもあるが、韓国では拘留時にひどい暴力があることや、軍隊での虐め、家庭内暴力、性犯罪などが深刻であることが窺える。その中に、「拷問と虐待の犠牲者の救済」という項目があり、セウォル号事件の被害者救済など4項目のうちのひとつが日韓合意である。
その記述が非常に抽象的で具体性が皆無なのだ。「日韓合意は歓迎するものの、第二次世界大戦中の性奴隷の生存者が引き続き38人いること、合意が条約の第14条の施行に関するコメントNo3(2012年)に十分に適合していないこと、そして、賠償、可能な限りのリハビリテーション、真実に関する権利、再発防止の確約を含む償いと救済を提供できていないことに留意する」と書いてある。このコメントNo3というのは、条約批准国が負う義務について説明したものである。ようするに、条約が求める水準を満たしていないと言っているのだが、なぜそう考えるのか、具体的なことは全く論じていない。
そして、“The State party should…” つまり、批准国がすべきこと、として、前述の文章を復唱し、「条約の第14条に適合し、第二次世界大戦中の性奴隷の生存者が賠償、リハビリテーション、真実に関する権利、再発防止の確約を含む償いと救済を確実に受け取れるように、韓国と日本は日韓合意を見直すべきである」と書いて終わっている。懸念点と改善事項が同じ文の繰り返しとはどういうことか。何を持って不十分と判断するのか、なぜ再交渉が必要なのか、具体的なことは全く触れていない。これまでの経緯すら把握していないのか、完全に無視しているのか、要するに中身がない空っぽの提言なのだ。そして、”and”で繋ぎ、セウォル号事件の被害者に関して同じような文言を繰り返している。
これが、国連の看板を掲げる条約機関の「勧告」の正体である。反日NGOの「お婆さんたちを無視して政府が結んだ合意は情緒的に受け入れられない」という苦情を受け入れ、文在寅政権の誕生に合わせた政治的圧力に過ぎないと思われても仕方がない。国連関連機関とは、こんな空虚な文言で圧力を掛けてくる団体に過ぎないのだ。日本人は怒って感情的になる前に、このお粗末な現実を認識し、国連幻想を捨てることから始めなくてはならない。そして、この委員会の政治的圧力がいかに無意味であるかを示すために、即座に論理的な反論を表明しなくてはならない。国連は日韓合意を歓迎した。そして日本は愚直に取り決めを履行した。それに対し、「合意は歓迎するが条約の義務を果たしてないから条約をよく読め」とは自己矛盾であり、傲岸不遜であり、軽佻浮薄もいいところだ。しかし、これが国際社会の現実なのである。「国際社会の崇高な理想」を信頼して自らの安全と生存を保持しようとなど考えたら命がいくつあっても足りない。
そもそも、崇高な理想とは自立した国家と個人が目指すものだ。自立せずに他人の善意に身をゆだねるということは、属国として生きることを意味する。自国の領土と国民と名誉は自分で守る。まずは自分の足で立ってから、理想を論じる。日本がやっていることは完全に順番が逆だから見下される。
拷問禁止委員会の意見を「勧告」と訳すのは正しくない。「日本人へのウェイクアップコール」と捉え、冷静に感謝し、そして、しっかり反論させてもらおう。
山岡 鉄秀(やまおかてつひで)
AJCN(Australia-Japan Community Network)代表
歴史認識問題研究会事務局長代行
公益財団法人モラロジー研究所研究員