米国の中国人留学生が語った「自由」と「空気」㊦

加藤 隆則

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インターネット社会のおけるニュースの価値判断、背景分析をする際、注意すべきことの一つは、いかにニュースがつくられたのか、という視点である。

メリーランド大卒業式での中国人留学生スピーチを最初に報じたのは、民族主義を煽る論調で知られる『環球時報』である。弱い立場の個人でも、立場の違う者は平気で容赦なく攻撃する。メディア人の良心に欠けた新聞だ。党機関紙『人民日報』が発行母体であり、一定の支持層があるので、同紙での報道はある程度の権威を持って、たちどころに広がっていく。欧米に蔓延するポピュリズム現象の中国語版と言ってもよいが、市民参加という民主化の契機になる可能性が皆無である点で、大いに警戒しなければならない。

編集長の胡錫進が自分のブログでぬけぬけと、この記事をネットに流した経緯を書いている。

「環球時報の新メディアはよくやっている。論争を起こし、大衆に理性的な思考を促す助けとなった。ネット世論がこの事件について語った全体的な方向性は健全だと思う。もちろん、ネットではひとたび焦点となると、津波のような破壊力があるのも常だ。だが、これは別の問題である」

自分のメディアを正当化しようとしているのだが、言いたいことがよくわからない。もともと民族感情に訴えることを得意とする新聞社が、「理性的な思考」を語るのは虚偽にもほどがある。「健全」の中身も不明だ。

彼はその後、「単仁平」のペンネームで同紙に論評を書いた。問題の所在をメリーランド大学の管理にあると指摘し、「今回の件で留学生が受けた事実上の存在を考慮せず、マイナスの影響を軽減する努力を一切していない。大学は、彼女は『間違っていない』と主張して火に油を注ぎ、彼女の中国世論における名誉を安っぽいマッチにみたてて火をつけ、自分たちの『高貴な価値』を映し出したのだ」と責任転嫁をした。

まだ未熟な若者を商売のネタにし、最初に火をつけたのは誰なのか。私の周囲にいる、心ある中国人たちはみな『環球時報』の荒唐無稽な言い分に怒っている。あらゆるものを「愛国か売国か」「中国か米国か」の二分法でイデオロギー論争にすり替え、不毛で無責任な世論合戦を引き起こし、そこからアクセス数という利益をかすめ取る。まずもって批判すべきは、こうした無責任なメディアである。

今回の論争は騒ぎを起こしただけで、中国社会に何ももたらしていない。メディアの軽薄さには、もはやみなが慣れ切って、何の感慨も起こさない。

中国は今日から端午節の三連休に入った。休みが明ければまた、別の刺激的なニュースにみなが飛びつくだろう。良心を欠いたメディアの舞台裏では、理性や責任とは無縁の原理で、新たなニュースが作られていく。メディアも学ぶ学生たちも、下手をすると、知らず知らずのうちにそうした手法を学ぶようになる。より多くの人々に注目をされることが評価の基準になれば、メディア人の矜持も倫理も邪魔になる。倫理の不在は悪循環に陥る。

クラスの学生が近く、留学生スピーチ問題で研究発表を行う予定だ。メディアを学ぶ学生に伝えるべきは、いかにニュースが恣意的、意図的につくられ、真実がゆがめられ、捻じ曲げられ、そして、最後には世論という名の怪物が出現する、その過程を、たえず懐疑の精神をもって観察することの大切さである。怠慢が自由の放棄につながるのと同様、安易な迎合や妥協は、メディアの奴隷への道につながっていることを、肝に銘じなければならない。

(完)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。