米国の中国人留学生が語った「自由」と「空気」㊥

加藤 隆則

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メリーランド大学の卒業式で中国人女子留学生は、米国の表現の自由をたたえ、中国の現状を息苦しいスモッグにたたえた。演説内容について引き続き言及する。

中国の大学に、彼女が批判するほど自由がないのかと言えば、そんなことはない。これも取材すれば一目瞭然である。

彼女はスピーチの中で、人種問題をきっかけに起きた1992年のロスアンゼルス暴動をテーマにした演劇『Twilight』が、学内で上演されるのを観た際の衝撃について、

In Twilight,the student actors were openly talking about racism,sexism and politic. I was shocked,I never saw such topic could be discussed openly。
(演劇『Twilight』の中で、学生の演者たちが、人種差別や性差別、政治についてオープンに語っていた。私は衝撃を受けた。今までこうしたテーマが自由に語られるのを観たことがなかった)

と述べている。だが、中国の大学でもこの程度の話は日常茶飯のように語られている。私のクラスでは、しばしば時事問題を扱うが、国内外を問わずタブーはない。彼女が内陸部の雲南出身で、沿海地区の大学とは開放度が劣ることもあるかも知れない。中国の地方間格差は日本人の想像を超えるほどだ。また、彼女が卒業式の場で、米国の教授や学生に向け、社交儀礼として誇張した表現を用いたことも考えられる。いずれにしても、学生レベルにおいて、「自由」への言及に関するネットでの賛否は、まともに取り合う意味のない切り口だ。

彼女は続けてこう語っている。

I have always had a burning desire to tell these kinds of stories, but I was convinced that only authorities on the narrative, only authorities could define the truth。
(私はずっとこうした話をしたい強い願望を持っていたが、こうした話は権威者だけが語るべきもので、権威者だけが真相を提示できるものだと思い込んでいた)

彼女が言う「こうした話」とは、前の演劇を受けている。それは「one that makes the audience think critically」、つまり人々に批判的な思考を許すものだ。だが、彼女が5年前、留学に来る前、中国の国内政治に関心を持っていたとは思えない。中国の学生は、共産党の複雑な権力構造についてまったく無知である。知らされていないというよりも、そんなことに関心を持つ余裕もなく勉強を強いられる。彼女の驚きは、「自由」よりも、そもそもそうした社会・政治問題の存在を発見したこと自体にあったのではないか。

むしろ、彼女のスピーチで大事な部分は次の個所だ。

Before I came to United States,I learned in history class about the Declaration of Independence,but these words had no meaning to me— Life,Liberty and the Pursuit of happiness。I was merely memorizing the words to get good grades。
(米国に来る前、歴史の授業で独立宣言について学んだが、生命、自由、幸福の追求、これらの言葉は私の人生にとって何の意味も持たなかった。ただいい成績をとるために暗記しただけだった)

詰め込み式教育への批判である。これは中国の教育が抱える最大の病根だと言ってよい。いい大学に行くために、ひたすら暗記をする。模範解答を書くのはずば抜けている。どうすれば教師に喜ばれるのか、つぼも的確に押さえている。TPOによってものを言い分ける高等技術も身につけている。彼女が登壇できたのも、その結果かもしれない。

だから、ネットでの不条理な攻撃に対してはすぐに、「私は祖国と故郷を深く愛し、国の繁栄と発展を非常に誇らしく思っている。今後は外国で学んだことを用いて中華文化を発揚し、国家のために積極的な貢献をしたい」と声明を公表し、難を逃れることができる。表現の自由の価値をたたえた同一人物の発言とは思えない。

良くも悪くもこれが現実なのだ。おそらく彼女は舌を出して謝罪文を書いたに違いない。そう考えることが、彼女に敬意を表することになる。魂はそう簡単に売り渡していないのだ。批判する者の大半は嫉妬である。だからある日、もし彼女が米国の一流企業に就職したら、「大したものだと」と記念写真さえせがみかねない。気まぐれなネット世論とはそういうものだ。取り合うのもばかばかしい。

内外のメディアが騒ぎ立てる事態を、あっさりとやり過ごしてしまう彼女のしたたかさに、私は舌を巻くばかりである。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年5月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。