メキシコ紙『Milenio』が実施した世論調査によると、メキシコで一番権力をもっているのは「麻薬組織カルテルだ」と答えたメキシコ人は39%、「大統領だ」と答えてた人は28%という結果を明らかにした。また36%のメキシコ人はカルテルの方が政府よりも事業を多く実現化させていると答え、35%のメキシコ人はカルテルの方が雇用をより創出すると答えたそうだ。
暗殺組織の方が事業をより起こし、雇用をより創出するという印象をメキシコ人に与えているのは皮肉である。5月15日にジャーナリストとして2000年から数えて105人目になるハビエル・バルデス(50)がカルテルによって暗殺された。それは3月に入って6人目に暗殺されたジャーナリストであった。その一方で、同年から25人のジャーナリストが行方不明になっていることも忘れてはならない。
ハビエル・バルデスは麻薬についての権威的な存在のジャーナリストであった。彼は主に『La Jornada紙』の記者としてシナロア州をベースに働いていた。麻薬そしてカルテルに関しての彼による著作は多くある。
3月に『La Jornada紙』で彼の同僚であったミロスラバ・ブリーチが暗殺された時に、その翌日24日のツイッターで、「ミロスラバは詳しく報道するので暗殺された。地獄のことを報道するというのが罪で死の判決が下されるのであれば、我々全員を暗殺したらどうだ。沈黙することなど御免だ」と綴った。
ミロスラバは上述紙とは別に、地方紙『El Norte de Chihuahua』でも記者として働いていたが、彼女の死と伴に同紙は廃刊することに決めたという。
『La Jornada紙』の労働組合員ジュディ・カルデロンの話によると、ハビエル・バルデスが暗殺される2週間前にメキシコシティー本社を彼の夫人と同伴で訪問し、過度の脅迫を受けていることに不安を抱き、同社の役員そしてジャーナリスト保護委員会に相談したという。しかし、彼らがバルデスへの保護を手配する前に、カルテルの方が先に手を打ったという事態になったのであった。
バルデスには二人の子供がいるが、彼は自分の職業は危険だというのは常に意識していたという。彼は次のような手記を残している。「ジャーナリズムというものは麻薬密売と政府の中に宿る悪によって導かれた視界では見えない道を歩むようなものである。そこではあらゆるもの全てに気を付けねばならない」。
メキシコで特にカルテルが蔓延っている州では州知事から始まって多くの政治家がカルテルと関係をもっている。そして、連邦警察の一部もそれに染まっている。シナロア、ベラクルス、チウアウアの3つの州などではカルテルが勢力を張っており、ベラクルス州ではハビエル・ドゥアルテ現職だった州知事のカルテルとの癒着が摘発されて、彼は半年ほど逃亡していたという出来事もあったほどである。彼は4月にグアテマラで逮捕されて本国への送還で交渉が続けられている。
昨年の同期間に比べ今年のジャーナリスト暗殺は29%増加しているそうだ。その要因としてあるのは、上述3つの州は昨年政権が交代した為に治安行政などに新政権が手綱を上手く取れるようになるまで時間を要している。その政治行政の空白をカルテルは犯罪を犯す為に上手く利用しているということだ。そして、カルテルシナロアのエル・チャポ・グスマンが収監されてから、シナロアが弱体している。その隙を突いて他のカルテルが縄張り争いを展開させて勢力を拡大している。それにはジャーナリストの報道による干渉は邪魔なのである。
活動家でジャーナリストで、しかも収監されて拷問も受けた経験のあるペドロ・カンチェは「我々を絶滅させようとしている。ジャーナリストになるということは歩く死人になることだ。我々は死の宣告を受けている。しかし、犯罪によって死ぬのではない。我々の務めである仕事をしたことによって死ぬのだ」と語っている。
ユネスコのブルガリア出身のイリナ・ボコバ事務局長は「この犯罪は、安全性に欠ける環境の中で、自分の仕事を遂行して行こうとする余りにも勇敢なジャーナリストのことが一度ならずも記憶に蘇させられる。彼らに危害を加えることは根本的な人権である言論と報道への自由を享受することを損なわせることになる」と述べた。
メキシコではジャーナリストを暗殺することや暴力行為が暴力組織によって容易に実行されるということでなのである。その背景には犯罪者を逮捕して法的に裁くということが殆ど実行されていないからである。
これまでの48件の殺人事件の調査においても、実刑の判決が下されたのは僅かに3件だというのである。
ペーニャ・ニエト大統領の政権も今年で終える。彼の政権下ではカルテルによる犯罪の減少はなく、逆に増加している。
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白石 和幸(しらいし かずゆき)
貿易コンサルタント
1951年生まれ、広島市出身。スペイン・バレンシア在住40年。商社設立を経て貿易コンサルタントに転身。国際政治外交研究や在バルセロナ日本国総領事館のバレンシアでの業務サポートも手掛ける。著書に『1万キロ離れて観た日本』(文芸社)