児童ポルノを撮影して金を得るために女児にわいせつな行為をしたとして強制わいせつ罪などに問われた被告人の男性の上告審で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は6月7日、審理を大法廷に回付しました。同罪の成立に「自身の性欲を満足させる意図が必要」とした1970年の判例を見直すことになりそうです。
1970年の最高裁判決は、報復目的で被害者の女性を裸にして写真撮影をしても、「性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図」がなかったとして強制わいせつ罪にあたらないとしたものです。このような判例が約47年間も維持されてきたことには、ただただ驚くしかありません。
そもそも犯罪が成立するためには、「構成要件」に該当し、「違法性阻却事由」と「責任」がないことが必要なのです。
傷害罪を例に取ると分かりやすいでしょう。
刑法204条は「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と規定しています。
何をもって「傷害」とするかについては若干の争いがありますが、刃物で他人を傷つけることが傷害であることは間違いありません。ですから「人を刃物で傷つける行為」は傷害罪の「構成要件」である「人の身体を傷害した」に該当しますよね。
しかし、これだけで「15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」ということにはなりません。
典型例が医師による手術です。医療としての正当行為なので「違法性がない」ということになります。「構成要件」には該当するけど、「正当行為という違法性阻却事由」があるということです。
正当行為以外にも、正当防衛や緊急避難が「違法性阻却事由」となっています。人を傷つけても正当防衛が成立するような場合は、この第二関門である「違法性阻却事由がある」ということで犯罪は成立しません。
第三関門の「責任」がないという典型例は、心神喪失です。精神病を患って心神喪失状態にあるような場合、刑罰は処せられません。この点について私は大いに疑問を抱いているのですが、ここでは省きます。
強制わいせつ罪に話を戻すと、「自身の性欲を満足させる意図が必要」というのはいったいどの関門の問題なのでしょうか?「構成要件」に該当するという第一関門?「違法性阻却事由」がないという第二関門?それとも「責任」がないという第三関門?
ご存じの方が多いと思いますが、第一関門の「構成要件」に該当しないというのが正解です。
刑法176条は、「13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする」と規定しています。
本条の「わいせつな行為」という「構成要件」を、「自身の性欲を満足させる意図で相手を裸にして写真を撮ったこと」だと定義したのが、1970年の最高裁判例なのです。
このように、行為者の主観的事情を構成要件の一部とすると(「主観的構成要件」と言われています)、行為者がどう思っていたかで結論が変わってくる怖れがあります。
本来、構成要件という第一関門たる「枠」は、その行為が客観的に判断できるのが理想です。痴漢をした犯人が、「俺は復讐目的でやったから強制わいせつじゃない」という言い訳が通ったのでは困ってしまいますよね。
実は、誰もが知っている殺人罪も「主観的構成要件」が入っているのです。刑法199条は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」と規定していますが、交通事故のように誤って人を殺してしまった場合には殺人罪に該当しません。
「人を殺す故意」が必要なのです。これまた「殺すつもりはなかった」という言い訳が通ってしまうと困るので、凶器の形状や攻撃された部位などの緻密な事実認定の積み上げによって殺意(殺人の「故意」)の認定を行っています。
いずれにしても、主観的構成要件という曖昧なものを極力廃除することが、刑罰の公正と公平を保つ意味で重要となります。「強制わいせつ」というのも、たとえ本人がどう思おうが、客観的に見て「わいせつ行為」であれば同等に処罰するのが妥当でしょう。
最高裁判例の変更に約47年もかかるというのはあまりにも悠長です。最高裁判例は、予測可能性という点で法律に近い役割を果たしているので(人も企業も最高裁判例に従って行動すればまず大丈夫だと考えます)、コロコロ変更されるのも困ります。しかしながら、被害者保護と抑止力という観点からすれば、もう少し迅速に社会通念に合わせていくべきだと私は考えます。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年6月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。