本日15日未明の衆院本会議、民共ら野党4党が提出した安倍内閣不信任決議案は与党と維新の反対多数で否決されましたが、本当に空しい会期末となりました。毎年恒例の日程闘争ですが、こうした政局化そのものに私は反対であり、そうした思いを「青票」(反対票)にのせて、異議申し立てを行いました。
55年体制の下では、「政局」も重要な意味を持っていました。万年野党と万年与党が馴れ合い、政権が自民党の中の派閥間で熾烈に争われていた時代には、権力の再編成は「政局」を通じて行われていました。しかし、小選挙区制が導入された94年以降、全ては「選挙」を通じて決することになったのです。
小選挙区制が導入されたからには、総選挙を通じて衆議院の多数派が形成され、首班が指名されれば、次の総選挙までは原則その首班=総理大臣が内閣を組織し指揮する、当たり前です。必ず否決される内閣不信任決議案には、印象操作以外、何の意味もありません。与党も野党も印象操作に終始するばかりです。
確かに加計学園の問題は、行政文書の開示が遅れる等官邸が何かを隠しているとの疑念を生じせしめました。政府与党は真摯に反省すべきです。しかし一方で、加計学園を特別に取り立てたのは安倍政権ではなく鳩山政権であり、担当大臣は枝野氏と蓮舫氏でした。安倍氏が総理になったのは、その後なのです。
テロ等準備罪についても一定の条文修正を勝ち得ましたので維新は賛成しましたが、決して百点満点だとは思っていません。当該制度を50点と評価し反対するか70点と評価し賛成するか、維新は後者を選んだに過ぎません。これが嫌なら、議席を増やし政権を奪取するしかない、これが冷徹な現実なのです。
その上で、小選挙区制下の国会は、どのように機能すべきでしょうか。今回の政局において、民共はじめ野党4党は“一方的”に政府を追及できる予算委集中審議の開催を求める一方、“対等”な党首討論は拒否し続けました。討論を避け、TVカメラの前でのパフォーマンスに終始する野党に大義はありません。
地上波のテレビや朝日新聞は、相変わらず「与野党攻防!」と煽るような報道を繰り返し、国会前では毎度同じ顔がシュプレヒコールを連呼しています。しかし、こんな国会、“攻防”でもなんでもありません。単なる審議“妨害”であり印象操作、「新しい政治」とっては、何の意味もない“猿芝居”なのです。
編集部より:この記事は、衆議院議員・足立康史氏の公式ブログ 2017年6月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は足立氏のブログをご覧ください。