加計学園のボヤを大火にした安倍政権の失態

首相官邸サイトより(編集部)

安保法制や共謀罪の運用に懸念

加計学園の獣医学部新設をめぐる疑惑は、日本の政治の舞台裏を明るみにする効果は十分ありました。こういう分かりやすい話は、テレビ、ネットの絶好のテーマであり、ボヤの段階で消し止めないと、大火になります。初期消火に乗り出さなかったのは、政権に不都合な背景があり、強行突破しようと考えたからでしょう。政治に対する第三者のチェック機能が働いていないと、思った人は多いでしょう。

今後の課題としては、安全保障法制や組織犯罪処罰法(共謀罪、テロ準備罪)などが立法化され、将来、想定しなかった展開、本来の趣旨を踏み外した運用がなされることもあるでしょう。学園問題ですら、「文書がない」、「確認できない」の言い逃れが多用されたのですから、安保や共謀罪となると、政権はどのような処理、対応をするのか。

次に日本では、立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)の三権分立が機能していないとの指摘をよく聞くようになりました。議院内閣制のために、政治と官僚が密着し、相互に抑制しあってバランスを保ち、権力の乱用を防ぐことが難しくなっているとの主張です。行政に対する政治の過度の支配が進むと、今回のような問題が起きやすいのです。

論点がはずれたコメント

政治の実態とともに、メディアにコメントを出す識者たちの質も明らかにしてくれました。「文書があったからといって、実際に総理の意向があったかどうかと、何の関係もない。何の効力もないメモで騒ぐことに違和感を覚える」(経産省OB、日経16日)がその好例です。「何の効力もないメモ」ならば、隠したりせず、当初から「存在はした。総理の意向は総理に確認してくれ」と、官邸は言えばよかったのです。そうできなかったからこそ問題なのです。論点はここなのです。

さらに、国家戦略特区諮問会議の民間議員は「総理から獣医学部新設を推進してほしいという要請はなかった。規制緩和を進める中で、これが首相の指示だと迫っても、何ら不思議ではない」(13日の記者会見)です。つまり忖度でなく、首相の指示があったとしても、何が問題なのかという論点ですね。

諮問会議のような公式の場で、友人が理事長を務める学校法人を首相が持ち出すはずはありません。こんな指摘でも首相への応援演説になると、思ったのでしょうか。どうせ発言するなら、入札制にして、応募した複数の学校法人から選抜すべきだったと主張すべきでしょう。

首相を擁護したいメディアや識者は「今後も特区制度の意義は変わらない」と、強調しています。その通りでしょう。重要な論点は「なぜ加計学園が認可されたか。認可条件を満たす適格な経営計画があったのか」にあるのです。そこに触れず、「特区制度の意義は変わらない」と主張するのは、論点のすり替えです。第三者としての役割を果たしていません。

官房長官らは「適正に判断して、加計学園を認可した」と、結論を強調してばかりしています。「どう適正に判断」なのか、その根拠は説明してきませんでした。「どのような学部運営の収支計画、教育内容を持って規制緩和の目的を遂げ、将来にわたり不安はない」などの説明がないのです。獣医師の地域的な偏在が問題になっており、学部を愛媛県に開設すれば、それがなぜ解決するのかの説明もありません。

共謀罪の運用でも懸念

森友学園にしろ、加計学園にしろ、政権側に不都合な事実、情報が明るみになると、「そんなことをいった覚えがない」、「確認できない」、「記録がない」と逃げを打ってきました。このような政治姿勢をみていると、一連の安全保障法制、改正組織犯罪処罰法(テロ、組織犯罪対策法)の運用が適正に行われるのかを懸念せざるを得ません。

安全保障問題では、自衛隊がPKO活動をしている南スーダンで武力衝突が起き、その活動日誌が破棄されていた、とされました。後に電子データが存在していることが分かりました。加計学園問題と同根です。

共謀罪では、適用対象を警察が恣意的に広げてしまうなど、取り締まり当局の独善と乱用にどう歯止めをかけるかが課題です。学園問題では、本来の趣旨(規制緩和)はよくても、適正に運用が行われたのか、政府は説明責任を果たしているのか、それを裏付ける記録やデータは保管されているのか。政権、政府といった当事者に任せておくのでなく、第三者によるチェックをどう確立していくのかが重要だと思いました。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2017年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。