金融規制が英語になる

政府は、2020年の東京オリンピック開催までに、日本をアジア最大の国際金融センターにするという構想を掲げている。日本の金融の実情を知り抜いている専門家ほど、現実味のない妄論だと一蹴してしまうのだが・・・

難問は、法文化の次元において、また法実務の次元において、徹底的に英米法化を推進しなければならないことだ。なぜなら、グローバル金融分野では、英米法の事実上の圧倒的優位が確立しているからである。もちろん、金融分野に限ったとしても、日本の法体系を根本的に変えることなどできるはずもない。国家戦略特区を設定して、そこを法律空間的に英米法化するのだ。

その特区のなかでは、法律分野に限らず、全てのコミュニケーションが英語になるであろう。ならば、英語で裁判するのか。弁護士はともかく、裁判官が英語をしゃべる姿は、現状では、想像し難いが、やはり、特区では英語の裁判になるほかないのではないか。

国際金融センターで活動する金融機関は、日本の金融機関も含めて、多国籍というよりも、無国籍となる。多数の国の出身者がいて、多数の言語が会話されているが、共通言語は英語となっている。英語で話され、英語で書かれる、これが当然の姿である。

そこで問題となるのが規制当局との関係である。さて、臨店検査に際して、検査官は英語をしゃべるのか、資料がすべて英語のままでも構わないのか、当局への報告は全て英語でいいのか、果ては、登録等の申請も英語でいいのか。要は、規制自体が英語になるのか。当然に、そうでなくてはならない。実に面白い、なにしろ、金融庁の一角において、公用語が英語という世界が生まれるのだから。

そもそも、特区内の法律は英語なのであろうか。日本の法律を英語に翻訳することは、法文化の英語化ではなく、文字の英語化にすぎない。法文化の英語化は、英語で立法することである。ならば、国会も英語の法案を審議するのであろうか。司法の英語よりも、立法の英語のほうが想像し難いのだが。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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