東大法学部と「武士道」の凋落

池田 信夫

篠田英朗さんの記事で気づいたが、東大法学部出身の首相は宮沢喜一以来、出ていない。官僚出身も彼が最後だ。今の首相官邸でも東大法学部卒(官僚出身)は、今井尚哉秘書官ぐらいだろう。「東大支配」が終わりに近づいているのは、歴史的な出来事だと思う。

戦後の首相は80年代まで多くが官僚出身で、そのほとんどが東大法学部卒だった。彼らは政策について知識をもち、官僚機構の人脈を使って行政を動かす力があった。そこでは高度成長の維持という大きな目標が決まっていたので、その目標を着実に実現する「小さな決定」には東大法学部が適していた。

しかし戦後の官僚の最高峰だった宮沢は、自民党政権を崩壊させた無能な首相だった。前例主義の東大法学部は、目標を変更する「大きな決定」には向いていないのだ。その典型が、前川喜一元次官である。彼は同僚の天下りを世話し、業界と利害調整して新規参入を妨害するスキルにはたけていたようだが、各省は内閣の決定に従うという議院内閣制のルールに反抗した。

これが『葉隠』の武士道である。これに近いのが寺脇研氏のいう「吏道」で、霞ヶ関では失笑を買ったが、前川氏の反乱は安倍政権に打撃を与える効果があった。それはまだ多くの人々の脳内に「江戸時代システム」が残っているからだろう。

『葉隠』で印象的なのは「釈迦も孔子も鍋島家に仕官しなかったので家風に合わない」という言葉だ。ここでは佐賀藩(鍋島家)が、仏教や儒教などの普遍的な価値を超える絶対的な存在だった。山本常朝の視野には、世界情勢はもちろん、日本という国家もなかった。至上命令はローカルな「家」の存続であり、そのために命を捨てる覚悟を求めたのが「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉だった。

このように武士道の本質は、部分最適化である。『葉隠』の書かれた18世紀前半には戦争はなくなり、武士は高等遊民にすぎなかったので、それは建て前論だったが、それを信じる者だけが出世できる。日本の官僚組織では、役所も企業も「お家に恋する」忠誠心で幹部を決める淘汰圧が強い。

これに対して政党政治は、全体最適化のメカニズムである。政権交代すると首相が政治任用で大臣も次官も取り替えるのが戦前の慣例だったが、戦後は官僚機構が「純化」し、事務次官は内部昇進だけになってしまった。それを変えようとしたのが内閣人事局だが、今年の夏の異動は意外に小幅だったようだ。

政治任用がすばらしい制度とはいえない。アメリカのように大統領が替わると役所の首脳が大口献金者で占められる状況は好ましくないが、逆に日本のように各省が内閣に優越する状況では大きな決定はできない。それが拙著『失敗の法則』のテーマでもある。

ここ25年の趨勢をみると、東大法学部の武士道の凋落は明らかだが、政党政治が十分に機能しているとはいいがたい。マスコミも国民もまだ前川氏のように潔癖で愚直な武士道が好きなので、変化は容易ではない。安倍政権は、日本が江戸時代システムを卒業する過渡的な政権として歴史に残るのかも知れない。