7月7日放送のフジテレビ・バイキングで石破茂・前地方創生相とご一緒した。このところ私と激論を交わしている東国原さんも出演。そこで、私がいったのは、問題のTHIS(豊田、萩生田、稲田、下村)のSは下村でなく菅でないかということ。本当はさらに、Iは石破さんだと言いたくて機会を窺っていたのだが、時間がなく言い損なった(笑)。
菅さんについては、クールで無駄のないスタイルが飽きられたのだと思う。これまでは、愚かな質問に細々と弁解がましく言わずに、切って捨てるスタイルが国民にとって新鮮でそこそこ好感を持たれていた。
ところが、いまのようにさまざまな疑惑を国民が感じているなかでは、記者から聞かれる前から分かりやすく説明したほうがよい。秋葉原のヤジへの対応でも、「問題ない」「発言の自由」で切り捨ててはダメだ。「何が悪い」でも「総理も興奮し言葉が過ぎたかもしれないが、あの組織的な妨害行為は酷すぎたからついついいったのだろう」でも良かったと思う。
THISの四人の発言はそれぞれ問題だが、それを菅長官が「上手にかばう」、「批判をやりこめる」、むしろ「あんなことではダメだと先回りして叱る」などテクニックを使って矛先をかわさなければならない。ところが、それを「発言の自由」とかいってかわしてしまっては、反感は増すばかりだ。
私は菅長官はスタイルを変えるべきだし、それは、自分の個性でないから出来ないのなら少なくとも内閣報道官的な役回りは交代するべきだ。
Iは石破さんではと私が言いたいのは、総裁選挙で安倍さんと争った重鎮である石破さんが都議会選挙のときに安倍首相の姿勢を批判して「風」をおおいに吹かすのに貢献したのは相当に厳しく選挙結果に影響したと思うからだ。
選挙のあいだは、石破さんほどの人はあまり露骨な批判めいた発言はしない方が良い。後藤田や中谷元あたりが少し突出した批判をしても許容範囲だが、石破さんの立場なら麻生さんや山口さん程度に留めるべきだ。
東国原さんは野党には期待できないから石破さんに打倒安倍で立ち上がって欲しいらしいが、そういうのは、1993年以前の旧い政治の発想だ。イギリスでもドイツでも与党のなかで倒閣運動なんぞ滅多にやらない。どうにもならないとなって初めて交代論がじわりと増す。一人の首相が8~10年くらい努めるのが望ましい。それが正常な政党政治だ。
もちろん、石破さんが来年の総裁選挙に出馬されるのは結構なことだが、かつての福田・大平の総裁選挙のような遺恨戦にならないことが望まれる。そのあたりは、石破さんも中選挙区への復帰には反対と聞いているので、よく分かっておられると思う(「中選挙区の弊害を除去するため、小選挙区制にしたことを考えないと駄目だ」と2011年にTBSで発言しているようだ)。
一方、石破さんが、自民党を出て新党を結成されるというなら、それもいいのではないか。ただ、かつての小沢さんの新生党や新進党のように、自民党の権力争いに負けた人たちが理念もなく野合するのは止めて欲しい。小沢一郎が絡んだ新党が結局、二大政党制をもたらさなかったのは、彼が狙ったのは第二自民党だったからだ。たとえば、民主党が政権についてやったのは、医師会や農協や土建屋を自民党からはぎ取るために媚びることだった。
自民党に代わる政権がするべき第一のことは、自民党のもっとも強力な支持団体の存在が故に歪んだ政治を糺すことだったが、それに媚びては不可能だった。私は自民党が連合に擦り寄るのも反対だ。それぞれの強い支持団体に手を出さないからこそ、政権交代の意味があるのだ。
私はマクロンがよく練られた中道路線で成功したように、中道新野党は可能だと思うが、問題は、その目指すところが、さしあたっての政局でなく、かなり長い期間にわたって自民党に対抗する「現実的にして明確な違いのある」方向を旗印にできるかだと思う。そういうものを、石破茂氏がもっているのかどうかは、私には今のところ分からない。
それから、今村復興相は即刻クビにして稲田防衛相はそうしなかったことは、間違ってはいないと思う。今村氏の発言は東北の被災者を傷つけるもので、復興相としての仕事の継続は難しい。それに対して、稲田氏のほうは、程度としては悪質だが、性格が違う。
とはいえ、今村氏が二階氏の派閥で稲田氏が首相の派閥では、どうしてというイメージを持たれることは避けられないのも事実だ。その意味では、今村氏に対する厳しさが仇となったわけだ。