サウジの王位後継者となったサルマン皇太子は国王になれるか?

白石 和幸

サウジの次期国王が有力視されるサルマン王子(Jim Mattis / flickr:編集部)

サウジアラビアの王位継承順位第2位のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(31)が第1位のムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子(57)を飛び越して次期国王になることは時間の問題だとされていた。遂に、6月22日にナイーフ皇太子が解任されて、サルマン皇太子が次期国王のなることが正式に発表された。

その日、イランのFars News Agencyが半公式の情報として、イスラエルが18機の戦闘機をサウジに飛ばしていたことが中東の主要紙で伝えられた。その狙いは、解任されたナーイフ皇太子がクーデターを企むことを懸念してのサルマン皇太子からの要請であったという。

ナーイフ皇太子がサルマン皇太子に王位継承権第1位の地位を譲る時の国営テレビで放映された映像では、前者が「私はこれから一息つこう。神様より君に祝福あれ」と語ると、それに応えて後者は「神様より君に祝福あれ。私は君の助言なしには何もしない」と答えた両者の姿が放映された。

ナーイフ皇太子は解任されるまで内務相としても活躍したが、彼の活動は鉄のカーテンで包まれ、しかもそれがテロリズムとの戦いだということを口実にして、多くの反逆者や活動家を刑務所に送ったことから、「暗黒の皇太子」という異名をつけられていた。しかし、彼のテロ撲滅活動は米国や英国など欧米の諜報機関からは高く評価さっれ、彼らは彼が国王になることを望んでいたという。

しかし、サルマン国王の希望は当初から彼の第3夫人の長男であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子を次期国王にすることであった。その為のシナリオを書いたのがアラブ首長国連邦のアブダビのムハンマド・ビン・ザイード皇太子だとされている。

アブドゥラ・ムハンマド・ビン・サルマンが国王になる以前、息子のサルマン皇太子はサウジの政界には姿を見せていない無名の人物であった。ところが、サルマンが国王に就任するや、サルマン皇太子はサウジの国営石油公社アラムコの経営に携わるようになった。同時に、国防相として就任もしたのである。この二つのポストについて、彼に経験はなく、全くの素人であった。

アブドゥラ前国王が亡くなると、アラブ首長国連邦のザイード皇太子はこれまでと同様にサウジの王家と将来に亘る特別な関係維持の為の対象人物としてサルマン皇太子に狙いに定めたのであった。その為には邪魔になる人物が一人いた。それは、サルマン皇太子にとっても同様であった。その人物とはナーイフ皇太子のことであった。

また、ナーイフ皇太子もザイード皇太子を恨んでいた。理由は、ザイード皇太子がナーイフ皇太子の父親でサルマン国王の直ぐ上の兄を卑下して「さる」と比較したことがあったからである。

そこで、ザイード皇太子が次のようなシナリオを描いたのである。①サルマン皇太子が米国からサルマン国王の後継者としてのお墨付きをもらうこと。②イスラエルと直接のパイプを築くこと。③宗教権威組織の存在を弱めて、ワッハ―ヒズムからの解放。

ザイード皇太子はこのシナリオに沿って先ず実行に移したのは、オバマ前大統領の政権時であった。オバマの中東政策で米国のサウジにおける権威は失墜していたが、サルマン皇太子をワシントンに赴かせて当時のオバマ大統領を訪問した。

しかも、ザイード皇太子にとって都合の良い状況になったのはトランプ大統領の誕生である。トランプは中東においてオバマと違ってイランに遠慮することなく、強力なサウジの存在を求め、しかも、イスラエル政府とも仲が良い。

そこで、ザイード皇太子はトランプが大統領に就任するひと月前にワシントンを訪問してトランプの側近と会見したのであった。トランプが大統領に就任してから、サウジ側からホワイトハウスを訪問したのはサルマン国王ではなく、サルマン皇太子であった。これもサルマン皇太子の存在を米国でより高める為の訪問であった。彼は原油に頼らない産業化されるサウジの姿を「サウジ・ビジョン2030」計画に盛り込んだその推進者であり、またネオリベラル派だといったアピールを米国でする為であった。

3月には、メルケル首相がホワイトハウスを訪問する予定であったが、気象現象の異変で訪問できなくなった時も、アジアに投資を求めて外遊していたサウジ王家の一行の中から、サルマン皇太子が選ばれて、メルケルの訪問中止の穴埋めにホワイトハウスを訪問してトランプ大統領と会談するという機会もあった。

その間、王位継承順位第1位にあったナーイフ皇太子の姿は全く表に出て来ない状態が続いていた。

4月末にはイエメンの「Naba News」がトランプ政権がサルマン皇太子の王位継承を支持するようにと望んで、サルマン国王が5600万ドル(61億6000万円)を同政権に贈賄したと報じたことがHispanTVでも伝えられた。

イエメンへの武力介入そしてカタールとの断交を決断したのはサルマン皇太子だとされている。彼について、サウード家の内部では批判が多い。彼はイデオロギーの違いを受け入れることが出来ず、議論することを嫌い、独断的で部下には服従しか認めないという気性からサウジの国家を担うには相応しくないという評価が多くあるという。

2015年8月にはサウード家の建国者の孫の一人がツイッターで「国家危機にある時に、国政が一人の馬鹿者の手中にある」と述べてサルマン皇太子を痛烈に批判したこともあった。

また、今回の次期国王となる任命についてもサウード家の21人の王子がサルマン国王に書簡を送って、この任命に反対する意向を示したことも表面化した。

イランの高僧サイェ・アフマド・ハタミは「サウジの血に染まった新しい後継者はイランと会談をもつ意思がなく、イランにまで戦場を持ち込むと言っているが、未成熟で新米だ」「そのようなことを実現させるには余りにも彼は小粒だ」と語った。

サウジの今後の国内政治の進展と近隣諸国との関係から仮に政情不安に陥ると、サルマン皇太子への不信が募り、政変が起きる可能性もないとは言えない。

一方、王位継承権も内務相も解任されたナーイフ皇太子はジェッダの彼の宮殿で蟄居を命ぜられていることも公になっている。サルマン皇太子のナーイフ皇太子への懐疑心は依然払拭されずにいるようだ。