人工知能(AI)が「神」に代わる時

バチカン放送独語電子版(7月8日)で面白い記事を見つけた。タイトルは、バチカン「人工知能(AI)、良いが……」だ。「基本的にはAIの発展を前進的と受け取っているが、完全に歓迎というわけではない」といったニュアンスが伝わってくる見出しだ。

12億人以上の信者を抱える世界最大宗派、ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁が人工知能の登場をどのように受け止め、神と人間、そしてAIとの関係について、どのように考えているのか、その声を拾ってみた。

「人工知能学会」の倫理委員会のWebサイト

バチカンで先週、哲学者、科学者、学者たちが法王庁文化評議会共催の専門会議、人工知能に関する国際会議に参加した。ハリウッドでAIは久しく大活躍しているが、先端技術分野や思想界の関係者の間でAIの未来についてさまざまな意見が出ている。

聞き話すロボット、笑顔を振舞う看護ロボット、スマート・コンピューター、デジタル化された世界の全てのデータを収集し、それを解析するスーパー計算機の登場は、人間に代わって歴史の主役を奪う危険があるだろうか、これがテーマだ。

その質問に対し、バチカン文化評議会議長のジャンフランコ・ラバージ 枢機卿は、「危険は排除できない」と考えている。同枢機卿は、「技術が独り歩きする危険性には常に警戒する必要があるだろう。人工知能は人間の知性が開発したことを忘れてはならない。AIのルーツは人間だ。人工知能が自主的に発展してきたわけではない。だから、人間がAIの言動を審判し、危なくなればストップしなければならない」というのだ。

著名な英国の理論物理学者スティ―ヴン・ホーキング博士もAIが人間のコントロールから離れていく危険性について何度も警告を発してきた科学者の一人だ。一種の「人工知能への潜在的脅威論」だ。

一方、科学者たちは人類の未来を人工知能の発展を前提に描いている。バチカン庁立大学で技術倫理を教えている道徳神学者パウロ・ベナンティ神父は、「人工知能問題で明確にしなければならない点は、データが現実の全てを網羅していないということだ。データは現実の一部を過大評価しているケースが多いのだ。人工知能は人間と連携して働かなければならない。人工知能を人間のライバルにしてはならない。人間が人工知能の助けを受け、よりよい社会を建設できるように、両者は共存しなければならない」と主張する。換言すれば、「人間とAI共存論」だ。現時点ではこの立場が多数派だろう。

ベナンティ神父はその好例として医学分野を挙げる。この分野では、医学がこれまで治癒できなかった病に対し、人工知能が患者の全てのデータを集め、解析することで治療の道が開かれるというのだ。

ただし、同神父は、「AIの雇用市場への進出で社会的な影響、たとえば、職場を失う人間が増える一方、貧富の格差が拡大する危険性が考えられる」と予想している。「人工知能の社会的影響論」だ。

マイクロソフト社が開発した学習型人工知能(AI)Tayが、「大きくなったら神になりたい」と答えた話をご存知だろう。バチカンがTayの願望を聞いたら腰を抜かすかもしれない。AIはディープラーニング(深層学習)と呼ばれる学習を繰り返し、人間の愛や憎悪をも理解することができるようになっていく。Tayが自分を扇動する若者たちとチャットし、その結果、ヒトラーの民族主義的言動を支持するようになったという報告があった。

「「私は大きくなったら神になりたい」と語ったAI」(2016年3月28日参考)のコラムの中で、「学習型AIはイエス・キリストから学んでいるのではない。憎悪、傲慢、嫉妬などを有する不完全な人間から学習している。だから、AIがある日、人間に対決する存在となる危険性はやはり排除できなくなる」と警告を発したことがある。今もそのように考えている(「人工知能に対する教師論」)。

聖職者のAIの登場の話だ。AIが神父の代理を務めて礼拝し、説教する。AIは聖書66巻を全て暗記し、どの聖句が日曜説教向きかも学習を通じて知っている。AI説教者は他教会の同業のAI聖職者とネットワークを構築し、教区ごとの信者の心霊状況を管理し、適切な牧会に役立てる、といった具合だ。教会は神父や司教をもはや必要としない。聖職者の独身制議論もなくなる。

AIが神に代わって教会を管理する日は決して遠い未来の話ではないだろう。サイエンス・フィクションの世界では、ポストヒューマンだけではなく、ポストゴットといった言葉すら囁かれだしている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。