戦後日本の「教育勅語」:文部省「あたらしい憲法の話」の岩盤規制

篠田 英朗

前回の私のブログ記事に対応して、池田信夫さんが「東大法学部と「武士道」の凋落」という記事を書かれた。池田さんの『失敗の法則』の内容にもつながる議論だ。安定期(冷戦体制下の高度経済成長期)と、その後の時代では求められるリーダーシップの性格が違う、ということだ。

「武士道」とは、学界で言えば、研究室の「家」の伝統のようなものだろう。日本でも、国際政治学会などであれば、数千人の会員を擁し、戦前から続く特定大学の特定講座の伝統のつながりといったものは、相対化されている。だがもっと閉鎖的な学会であれば、事情は異なる。いまだに「武士道」が気品とされる文化があることが、門外漢にもひしひしと伝わってくる。

戦後の日本の憲法学の成立にあたって、決定的な役割を担ったのは、1945年の時点で東京大学法学部第一憲法学講座を担当していた、宮沢俊義である。宮沢は、師である美濃部達吉が死去した際、東大法学部同僚のの前で、派手な追悼を行った。

美濃部を「日本の民主主義発達史上における殉教者」と呼んだ。そして同じ東大法学部に属していた「神権主義的専制主義者」上杉慎吉を、美濃部の「最大の敵」だった、と描写した。美濃部=善/戦後派、上杉=悪/戦前派、といった構図を作り出したうえで、美濃部が経験した天皇機関説事件を、「殉教者」の事件として神格化したのである。そして自分がその正当な継承者であることを強くアピールしたわけである。(拙著『ほんとうの憲法』119頁)

では宮沢は天皇機関説事件が起こった際に、どのようにして師を守ったか?特段、何もしていない。宮沢は軍部ににらまれることもない内容の講義を粛々と続けていた。真珠湾攻撃の際には、喜びに満ち溢れているというアピールをする文章を書き連ねたりしていた。(拙著『ほんとうの憲法』130頁)

宮沢は、GHQ憲法案を目にするや否や、神秘的な「八月革命」説を唱え、主権を握った国民が憲法を制定するのだから正統だ、という立場で、新憲法を承認した。師である美濃部達吉は、手続的な不備を理由にして、枢密院でただ一人、新憲法に反対票を投じた。京都大学憲法学担当教授の佐々木惣一も、貴族院で、反対票を投じた。

宮沢の派手な美濃部への追悼の言葉とは裏腹に、宮沢は新憲法への対応について、美濃部の後追いをしなかった。結果として、宮沢は、新憲法の守護神としての東大法学部憲法学講座の「お家」の地位を守った。美濃部と行動をともにして大日本帝国憲法の秩序に恋々としすぎることなく、宮沢は、新しい体制で生きていく道を選択した。「お家」を守るという選択も、戦乱の時代の「武士道」精神だったのかもしれない。

『あたらしい憲法のはなし』の挿し絵(Wikipedia:編集部)

霞が関でも、変わり身の早い省庁は生き残った。たとえば文部省である。戦前の日本で、文部省は「教育勅語」の普及を担当し、天皇神権の「国体」を国民に徹底する役割を担っていた。 戦後になり、新憲法が施行された1947年、いち早く文部省は『あたらしい憲法のはなし』を教科書として公刊した。

この『あたらしい憲法のはなし』の挿絵は、現在の学校教科書でも広く採用されており、国民向けの憲法9条理解に決定的な役割を果たしている。『あたらしい憲法の話』こそが、まさに戦後日本の「教育勅語」である。「あたらしい憲法のはなし」に次のような記述があった。

兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。・・・日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

今日、われわれが「護憲派」として理解しているものは、1947年の文部省「あたらしい憲法のはなし」の憲法解釈を守りぬくという立場のことである。

なお宮沢俊義は、同じ1947年、全く同じ題名である「あたらしい憲法のはなし」という小冊子を公刊し、文部省「あたらしい憲法のはなし」で採用される憲法前文の読み方、つまり「主権在民、民主主義、国際平和主義」が前文で書かれている、という読み方を、提示していた。

宮沢俊義は、文科省「あたらしい憲法のはなし」執筆で中心的な役割を果たしたとされる浅井清とともに、文部省社会教育局が管轄する同省の外郭団体である「憲法普及会」の理事であった。憲法普及会が、やはり1947年に出した公刊物に「新しい憲法、明るい生活」というものがある。そこでは戦争放棄について、次のように説明がなされた。「私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束した」。

結局、「戦後日本の国体」において「教育勅語」に相当するのは、憲法学者・宮沢俊義の協力も受けながら、文科省が作成公刊した、「あたらしい憲法のはなし」であろう。

私などが、いくら学術的な議論をふっかけても駄目である。『ほんとうの憲法』などという題名の本を出しても無駄である。東大法学部系憲法学にぶちあたる前に、文部省「あたらしい憲法のはなし」の岩盤規制に阻まれる。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年7月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。