出会いと別れの繰り返し

日本は相変わらず平和だ。どう考えてもくだらない芸能人の離婚騒動が世間を賑わせている。米国も大統領選挙へのロシアの関与を巡って、親トランプメディアと反トランプメディアの戦いが繰り広げられていており、興味深い。内容は低次元だが、国益が関わっているので、日本のように何ら生産性もない低俗な騒動とは質が違う。 

今日の研究室のミーティングで、私の研究室に5年間いたギリシア人医師がお別れの挨拶をした。私がシカゴに移った2012年の7月から一緒に研究をしていたので、挨拶を聞きながらかなり、感傷的な気持ちになった。「研究することを強いられるのではなく、自分のやりたいことをさせてもらって、楽しむことができた。辛い時もあったが、支えてもらって感謝している」と言ってもらったのはうれしいが、やはり、別れは寂しいものだ。しかし、NCI(米国国立がん研究所)で独立したポジションを得たのだから、それはそれでよかったと思う。 

私は1989年にがん研究所の部長として自分の研究室を主宰してから、350人以上の研究者や医師と、出会いと別れを繰り返してきた。大半が2-3年で去っていった(中には1週間程度で夜逃げしたような人がいるが、これは何の目的意識もなく、派遣されてきた人だ。30歳前後になっても、この程度の人間が10人はいた)。ほとんど印象に残っていない人や強烈な印象を残した人もいる。一般的には、強い印象を残した人が去っていく時の方が寂しさが強い。もちろん、10年前後一緒に研究をした人もおり、この人たちが去っていく瞬間は、言葉では表現できない気持ちが沸き起こってきた。今日も、同じような気持ちだった。

最後に「Yusukeの気持ちを受け継いだ医師研究者として頑張っていきたい」と締めくくってくれたが、知識を受け継いでくれることも重要だが、「何のために、誰のために研究をするのか」という精神を受け継いでくれることが大切だと思っているので、彼女の5年間は無駄でなかったと信じたい。これで独立した研究室を持った人は50人近くになった。

そして、オンコセラピー・サイエンス社が、ようやく、遺伝子解析事業にも乗り出すことを昨日発表した。がんプレシジョン医療は、がんの医療体系を根底から変革すると謳ってきた私のチャレンジを具現化してくれるきっかけになるものと期待している。がん医療の抱える問題はたくさんある。新薬開発で、欧米から大きく取り残されていることは何度も指摘してきた。誰が作っても同じではないかと言う人も少なくないが、患者さんの立場ではその通りだろう。しかし、医薬品のアクセスが遅れるドラッグラグはなかなか解消されない。そして、医療経済学的な観点では大問題なのだ。

私は、医療保険制度が破たんする危険をはらんでいる中で、医薬品の輸入超過が2兆円を超えることは大問題だと思っているが、患者さんの負担には大きな影響がないので、多くの人にとっては他人事になってしまっている。 

そして、分子標的治療薬もなく、免疫チェックポイント抗体も効かない患者さんにとっては、前回のブログで紹介したネオアンチゲン療法を含む免疫療法が鍵となってくる。これにはゲノム解析が不可欠だ。高齢がん患者の治療、肝腎機能の低下した患者さんなど、国を挙げて取り組むべき課題だ。 

年頭に2017年は挑戦の年だと宣言した。第1弾がリキッドバイオプシーなどのゲノム・遺伝子解析だ。これで挑戦は止まらない。 

と勢いよく行きたいところだが、オヘア空港が大混乱で、飛行機が1時間程度遅れるよとメールが来た。空港についてから連絡が届いても何の役にも立たない。そして、こんな時は、たいていもっと遅れる。午前中に突然、空が真っ暗となり、1時間くらい激しい雷雨があったので、予想はしていたが、ボードで見ると約3分の1のフライトがキャンセルとなり、大半が遅延している。空港ラウンジも大混雑で騒がしく、落ち着かない。なんとなく、出鼻を挫かれたようで残念だ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年7月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。