蓮舫問題で燃えるアゴラの谷間に咲く“徒花”かと思いきや、これはなかなか深刻になってきた。新人議員の取材対応を規制していた都民ファーストの会が、二期生で、さき頃まで小池派の「顔」であったはずの、おときた君のAbema TV出演までNGを出したようだ。アゴラでは、本人の苦しい釈明、そして、共演するはずだった自民党・川松真一朗都議のブログがそれぞれ掲載されている。
小池さんはメディア出身者なので、このような対応をするのは少々考えづらい。となると、先ごろ、代表の座を小池さんから預けられた野田数氏が決めているとみて間違いないだろう。実際、過去にもこの党の関係者たちから聞いていた彼の性格なら十分ありうるだけの「強権」ぶりだ。
小池チルドレンへの取材規制は“民間並み”なのか?
たしかに、メディア対応に不慣れな新人チルドレン議員が、この党の弱点である。いまは投資家&タレントとしてご活躍の杉村太蔵さんが「料亭に行ってみたい」と華々しくワイドショーデビューしたのも、郵政選挙に当選直後、メディアの輪に取り囲まれたときだった。だから、レピューテーション維持および危機管理対策として、強引に規制をかけてしまいたくなる運営側(運営って書くとAKBのそれみたいだ、笑)の気持ちもわからないわけではない。
野田氏本人は、朝日新聞の取材に対し、こうのたまっているそうだ。
「どの企業も取材は広報経由。うちはこれまでの都議会と違い、民間並みの対応をとる」
行政経営の非効率性や非採算性を改めることにおいて、市場感覚を部分的に取り入れることは至極重要なことであるが、野田氏がここで言う「民間並み」は根本的に履き違えている。
野田氏が「民間並み」という言葉を用いるのにあえて乗ってみると、都議会議員たちは、“経営者”である小池知事の行政運営をチェック、あるいは改善を提案する“社外取締役”であり、党に公認されて出馬したとはいえ、チルドレンたちに議員の地位を与えたのは、“株主”である各選挙区の都民だ。小池氏でも野田氏でもない。これは民主主義の原理原則だ。また反小池派のネット民から「自分ファースト」とか言われてしまうのではないか。
この原理原則でいえば、議員をサラリーマン扱いするようなことは不適当であり、それぞれ一国一城の主として位置づけることのほうが相応しい。新人議員に研修を施す一時的な期間に縛りをかけるのならともかく、すでにメディアでおなじみの二期生の口にガムテープを貼るのは理解に苦しむ。
いつか見た光景。私が東京・港区議会で直面した言論統制
実は、こうした問題は東京の地方議会で、新しい現象ではない。いまから3年前の秋、まだ私がアゴラ編集長になる前に東洋経済オンラインで地方議員の特集連載を持っていたとき、東京都の港区議会で似たような事態があった。
詳しい経緯は記事を読んでいただきたいが、これは自民党区議の議長(当時)が、若手区議たちのメディア露出の仕方が気に入らなかったため、あろうことか母体の自民党区議たちだけでなく、他党も含めた全議員に対し、メディアに取材を受けた場合の報告を求めたという前代未聞の話だった。
カタチとしては事後報告だったが、このような報告を義務付けてしまうと、当然、区議会に都合の悪い話に関してメディアの取材を断ることにつながりかねない。議員のメディア露出抑制を目的とした取材規制・言論統制を実質的にかけたものだ。2015年の選挙以後は、この措置は解除されたが、いまでも複数の区議たちと当時のことを話題にすると、前議長らの措置に違和感を口にする。むろん、先述の「原理原則」に反しているからだ。
小池都政の不安や懸念は多いが、都民ファーストの会に一つだけ大きく期待することがあるとすれば、こうした悪しき旧態とした議会文化を塗り替えることだった。都民ファーストの会の国政進出ばかりをメディアは期待するように騒ぐが、私はどちらかといえば、都議選直後に小池さんが記者会見で区議選や市議選にも候補者を擁立していく方針を述べたことのほうに現実味を感じ、大阪で維新が成功したように、党勢拡大の上でも、地域での足固めが合理的だとも感じている。
都民Fは田舎臭い議会文化を踏襲するつもりか?
だから2019年の統一地方選で行われる都内の区議選、市議選で小池チルドレンがどこまで躍進するのか注目しているわけだが、野田氏のやっていることは3年前の港区議長と変わらない旧態とした“田舎臭さ”を感じる。
このようなことを続けていれば、そのうち左派勢力あたりから「自民党都連と都民ファーストの会の政争は、保守勢力の中での世代間闘争にすぎない」という論評も出てくるのではないか。港区議会で都民ファーストの会が多数派を取った時、私は区民として、同じような光景を地元でも目にするのだろうか。