内閣支持率の低下は、改憲案への逆風か、改憲案が作った風か

篠田 英朗

首相官邸サイト(編集部)

都議選における自民党の惨敗と、内閣支持率の低下によって、改憲案を進めるのは困難になった、といった見方が多数出されるようになった。だがその考え方は順序が逆で、改憲案の現実化が、内閣支持率の低下を生んだのかもしれない。

石破茂・元自民党幹事長の安倍首相に対する批判的なコメントを、護憲派のメディアが競って大きく取り上げ続けている。5月以降、内閣への支持率の低下が、自民党への支持率の低下よりも劇的である。第二次安倍内閣への支持率の低下が、改憲論への足かせとなるのか。あるいは、改憲論への拒否反応が、内閣支持率の低下につながったのか。簡単には言えないが、興味深い問いだ。

過去二か月で、なぜ内閣支持率は劇的なまでに低下したのか。まずは加計問題に、共謀罪の成立、レイプ被害もみ消し疑惑等が重なったことを指摘できる。それにしてもSNS上では、大手メディアの偏向性が問題視されている。首相発案の改憲案が、各界の「反安倍」勢力を刺激して活発化させたことは、一つの背景要因ではあるのかもしれない。

私は、以前のブログ記事で、安倍内閣の閣僚を中心とする自民党の出身母体と、前川元次官が代表する霞ヶ関エリートの母体階層に、大きなかい離があることを、あえて指摘した。

前川氏反抗の背景?!『ほんとうの憲法』を機に考える東大支配の崩壊

そういったことも含めて考えないと、要領を得ない確執が続いていることを理解できないと思ったからだ。メディアについても、保守系が改憲論支持派で、反改憲派が反安倍派と同じである。

私の『集団的自衛権の思想史』から近著『ほんとうの憲法』にかけての仕事に対する反響の中で一番多かったのは、「篠田さんのような議論をしていたら保守派を利するじゃないか」、といったものであった。いちいち保守派を利するかどうかを考えてから、著作活動をするかしないかを決めなければならないとすれば面倒な話だが、世間一般の見方は、そんなものである。

ほんとうの憲法: 戦後日本憲法学批判 (ちくま新書 1267)
篠田 英朗
筑摩書房
2017-07-05

 

5月以降、改憲反対派は、真っ向から自衛隊違憲論を出すのではなく、自衛隊はすでに認められているので「改憲は必要ではない」、「国民投票はコストがかかる」といった議論をしながら、「首相の個人的な意地だ」、「いずれにせよ安倍政権での改憲は認めるべきではない」、といった表現で、反対の論陣を展開してきた。論争の構図を「(保守反動で戦前を復活させる)安倍一強か、反安倍一強か」、に持ち込んで、改憲案への反対を喚起しようとしてきたのだと言える。

この国では、70年にわたって憲法の文言が一字一句修正されていない。世界でも非常に稀有な状態である。どのような議題であれ、70年の慣行に変更をもたらすのは、大きな判断になる。様々な確執も喚起されるということだろう。普通の国民一人一人には、荷が重い話になってきているのかもしれない。

「篠田は東大法学部系の憲法学者に挑戦をして勇気がある」、などと評してもらうこともあるが、どうということはない。基本的に、ただ無視されるだけである。まあしかし、それはそれで仕方がない。ポジション・トークに明け暮れていれば安泰だということでもない。政治家は政治家として筋を通すだろうし、言論人は言論人として筋を通す。とりあえずは、それだけのことである。

拙著『ほんとうの憲法』の執筆中に山崎雅弘『「天皇機関説」事件』という本が公刊された。

「天皇機関説」事件 (集英社新書)
山崎 雅弘
集英社
2017-04-14

山崎氏の書は、おおむね堅実な事実描写によって組み立てられている。だが、冒頭で「天皇機関説事件」の構図を、「反安倍」主義の護憲派と、「復古主義」改憲派の対立の構図として提示するのは、図式化の度合いが強すぎると感じざるを得なかった。

山崎氏によれば、数十年にわたって参照され続けてきた久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』における「顕教による密教征伐」としての「天皇機関説事件」のまとめは、単純すぎるのだという。ほとんどの読者は気づかないのだろうが、それは山崎氏のように「あとがき」でさらっと書いて済ませてしまう話ではない。久野・鶴見のほうが、長年参照され続けてきた伝統的な「天皇機関説事件」の理解なのだから。

山崎氏が示唆する、自由主義者が国粋主義者に弾圧された、立憲主義者が反立憲主義者に弾圧された、といった「天皇機関説事件」の理解は、いっそう強引に単純化されたまとめであるように思われる。

だがそれも時節柄の物語なのだろう。・・・もし改憲案に賛成するとしたら、それはあなたが復古主義者の国粋主義者の軍国主義に加担するということだ、それでもいいのか?・・・、といった論調が拡散している。

70年以上にわたって一度も改憲がなされたことのない国で、改憲案が現実化するということは、様々な確執が激しくうごめきあうということなのだ。そのこと自体は、冷静に受け止めなければならない。実際の議論の内容の低次元さにかかわらず、理解しておかなければならない。

まあしかし、それはそれで仕方がない。ポジション・トークに明け暮れていれば安泰だということでもない。政治家は政治家として筋を通すだろうし、言論人は言論人として筋を通す。その他の方々も、それぞれの場所で、筋を通す。とりあえずは、そういうことである。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年7月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。