ベンチャーにおける信念とリスクの共有

大航海時代、未知の世界への航海は、巨額な利潤をもたらした。だからこそ、世界経済は成長したのだ。成長の原動力は、冒険、まさにベンチャーにあったのだ。こうして、起業という意味のベンチャーは、冒険という意味のベンチャーに起源をもつのである。

起業家は、大航海時代の冒険者と同じく確信に満ち溢れていて、事業構想という計算に基づいて行動するのだから、リスクを冒すという自覚など全くないはずであり、周辺の傍観者の心配や皮肉や嘲笑などは耳に入らないはずなのである。そうでなければ、起業などできない。

さて、大航海時代の冒険者は自己認識においてリスクを冒さなかったが、冒険者に資金供与する人、例えば、王侯貴族や、航海に付き従った配下の人はリスクを冒していたのではないか。起業家も自己認識においてリスクを冒している意識はないが、起業家に資金供与する人、例えば、ベンチャーキャピタルや、一緒に働く同僚や部下は、リスクを冒しているのではないか。

しかし、冒険者や起業家には、自己のもつ確信に他人を引き込むというか、他人のなかにも同じ確信を生むような人間的な力があるはずである。また、緻密な計算は、他人に対して強い説得力をもつ。個人の信念だけでは、業を起こせないが、個人の信念を核にした共同体ができれば、業を起こせる。その信念の共同体のなかでは、誰もリスクを冒しているとの自覚はもたないであろう。

それは、信念を共有する共同体というよりも、リスクを共有する共同体、より正確には、参画者が各自の立場で管理すべきリスクを分有する共同体ともいえる。実際、航海だろうが、他の何かの事業であろうが、業を起こすには、複数の専門家の組み合わせが必要なのだ。資金を出すことも一つの専門性であり、そこに固有のリスク管理の技法がなくてはならない。つまり、固有に管理すべきリスクの数だけ、そのリスク管理の専門家が必要だともいえるのだ。

そのように専門家を適材適所に配置することで、共同体の内部ではリスクが適正に管理されることを通じて、結果的に、経営者、即ち業を起こすことの指導者はリスクを冒さずに業に専念できる、航海にしろ、起業にしろ、これがリスクをとることの現実のあり方であるはずだ。

要は、危険を冒せるのは、危険はリスクとして制御下にあるとの信念、故に危険はないとの信念のもとでのみ可能だということであり、その信念は、危険をリスクとして制御できるだけの技術等の必要資源の裏付けがあってこそ、なりたつということなのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本紀行