いま、にわかに世界史がブームになりつつある。カナダの歴史家、ウィリアム・H. マクニール『世界史』(中公文庫)が上下巻を合わせて30万部を突破し火をつけたようだ。過去の歴史から学び、ひも解くことで見えてくるものがある。
今回は、歴史学者(専門は東洋史)として活動する、宮脇淳子(以下、宮脇氏)の近著『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)を紹介したい。日本人が学ぶべき世界史とはどのようなものだろうか。
「支那」が使用されなくなった歴史的背景
――最近、「支那」という漢字が使用されなくなっているそうだ。意識したことは無かったが、指摘されればそうなのかも知れない。日本人にとって「支那」は身近なもので料理名に使われることが多い。支那そば、支那うどん、支那大根、支那竹などがある。
「日清戦争で日本に負けて、近代化に取組まなければと考えた清国は、多くの留学生を日本に派遣することになりました。留学生は国土を『支那』、自分たちを『支那人』と呼びました。ところが『支』は『庶子』、『那』には『あれ』という意味があります。これは、よい意味の漢字ではありません。」(宮脇氏)
「そこで、代わりに『中国』という言葉を使うようになりました。中国という漢字は古くからありましたが、清朝時代には漢人の住む地域を指すようになりました。『自分たちの居るところが中心である』という意味です。」(同)
――これには次のような背景があるようだ。
「シナ文明(中国)では古くから、漢字を使わない人間を卑しんできました。固有名詞を漢字で書くときに、同じ発音でも悪い意味の漢字を使うことがありました。モンゴルを『蒙古(暗くて古い)』、古代日本の女王『卑弥呼』に『卑』という字を使ったり、古代日本を指す『倭』にも、チビという意味があります。」(宮脇氏)
「第二次世界大戦後、中華民国総統の蒋介石が、敗戦国の日本に対して『支那』は蔑称だから使わないようにと言ったのです。GHQの命令を受けた日本人は、それまでの『支那』をすべて『中国』と書き換えました。」(同)
――その後、明治以来、日本人が研究してきた支那通史は中国史に変更される。
「中国という国が誕生したのは、1912年の中華民国です。さらに、1949年に中華民国を台湾として独立させて建国した中華人民共和国も、略称を中国としているために少々わかりにくくなっています。漢字の『支那』が好ましくないのであれば、カタカナの『シナ』にすれば問題はないはずです。」(宮脇氏)
「これまでの経緯を考えればチャイナの日本語訳はシナに戻すほうがいいでしょう。また、『中国5000年』にも次のような背景が存在します。」(同)
確認するためのエビデンスの存在は
――「中国5000年」に関しては諸説ある。数年前に学会で議論になったことがあるが、夏王朝を含めても4000年程度である。しかし神話時代を含めての話であることから、どこまでが事実なのかわかりにくい。確認するためのエビデンスはないのだろうか。
「司馬遷の『史記』という歴史書があります。中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された歴史書です。紀元前1世紀に書かれたシナでもっとも古い歴史書である『史記』が、歴代の皇帝たちの始祖として描いた『幕』という神様を探し出して黄帝紀元と称することにしたのです。黄帝は神話上の存在です。」(宮脇氏)
――黄帝紀元とは、中国人の先祖とされる伝説上の黄帝に基づき、清朝末に創始された紀元である。孫文が臨時大総統に就任すると、1912年1月1日を中華民国元年元旦とすると通達がされた。その後、黄帝紀元は使われなくなった。
今回、紹介したのは世界史の一部にすぎない。「世界史」を正しく理解することには大きな意味がある。そこには何がみえてくるのか。誰も挑もうとしなかった難問を、宮脇氏が鮮やかに解き明かしている。なお、本記事用に本書一部を引用し編纂した。
参考書籍
『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)
尾藤克之
コラムニスト
<第6回>アゴラ著者入門セミナーのご報告
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次回の著者セミナーは8月を予定。出版道場は11月を予定しております。
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