モーセの十戒「汝、人を殺すなかれ」

ドイツ北部ハンブルクの百貨店で先月28日、1人の男(26)が台所用刃物で買い物客らを襲い、店の近くにいた1人の男性を殺害し、6人を負傷させた。男は近くにいた市民らによって現場で捕まった。男はアラブ首長国連邦(UAE)生まれのパレスチナ人。ドイツで難民申請したが認められず、強制退去となる予定だった。

▲真夏のウィーン市内を歩く人々(2017年7月31日、ウィ―ンで撮影)

このニュースが流れてきた時、「また、大変なことが起きた」と思った。独メディアの中には、容疑者の男は犯行中、「神は偉大なり」というアラブ語(アッラーフ・アクバル)を叫んでいたという証言を報道していたからだ。

その2日後、ドイツから別の事件発生の急報が流れてきた。ドイツ南部のコンスタンツのディスコで30日早朝、男が自動小銃で1人を射殺、3人を負傷させる事件が起きた。男は警察官との間で銃撃戦となり、射殺された。男はイラク出身でコンスタンツに長期間住んでいる。ディスコの警備員と喧嘩となり、いったん自宅に戻って自動小銃を持参して、ディスコに行き、警備員らに向けて乱射したという。

最初の事件はイスラム過激テロ事件の可能性が高いが、後者は激怒に走った男が自動小銃を乱射した事件で、イスラム過激テロ事件ではない。問題はどこで男は自動小銃を手に入れたかだ。

ところで、当方は殺人事件に強い関心がある。誤解しないでほしい。厳密にいえば、殺人の動機についてだ。人はなぜ殺すのか。イスラム過激テロリストの場合、異教徒を殺すことは「神の願いに合致している」と信じ、殺人行為が一種の「信仰告白」の表現となっている。だから、犯行を隠すことはなく、むしろ宣言する。イスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)は犯行を世界に向かって表明する。

コンスタンツの事件の場合、犯行の主因は「激怒」だった。自分の願いや行動を妨害する人間への怒りが殺人のきっかけとなった。ハンブルクのテロ事件より、犯行動機は原始的な発露ともいえる。イスラエル60万人を引き連れてエジプトから出発した指導者モーセが神の約束した福地、カナンを目の前にしながら入ることが出来なかった主因は激怒だった(旧約聖書「出エジプト記)。怒りは人を誤導し、予想外の結果をもたらすことがある。

変わった殺人動機としては、アルベール・カミュの小説「異邦人」の主人公、ムルソーの証言だ。彼は友人の事件に巻き込まれ、アラブ人を殺した。裁判でその犯行動機を問われた時、ムルソーは「太陽が眩しかったからだ」と答えたという話は有名だ(「異邦人」は、43歳でノーベル文学賞を取ったカミュの代表作品)。

ムルソーの犯行動機と比べると、フョードル・ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公、元大学生ラスコーリニコフの場合は少々複雑だ。「選ばれた非凡人は、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論から、金貸しの強欲な老婆を殺害した。

ちなみに、ラスコーリニコフの犯罪を想起させる冷酷な犯罪が最近、ドイツで起きている。このコラム欄で報道済みだが、独西部ドルトムントで今年4月11日、欧州選手権チャンピオン・リーグ準々決勝に出場するドルトムントの選手たちを乗せたバスが宿泊ホテルを出て試合場に向かった直後、3度の爆発が発生、幸い、DFマルク・バルトラ選手と警察官が軽傷しただけで済んだ。捜査が進むにつれ、事件は株のオプション取引で経済的利潤を狙った犯行だったことが判明した。

爆弾でドルトムント選手を殺害、ないしは負傷させ、BVBの株を暴落させ、いわゆる株の暴落(Put Option)で巨額な金を手に入れようとした犯罪だった。独バーデン=ヴュルテンベルク州のテュービンゲン市に住むSergej Wというロシア系ドイツ人(28)が逮捕された。容疑者は仕掛けた爆弾の爆発後、BVBの宿泊ホテル内のレストランでステーキを食べながら事件後の動きをフォローしていた(「ドルトムント『テロ事件』と株価操作」2017年4月23日参考)。現代版ラスコーリニコフだ。違いは、ドイツの容疑者は犯行後も悔い改めていないことだ。

実際の殺人事件の大多数は知り合い、友人、家族の間で起きている。すなわち、身近な人間関係のこじれが殺人事件を誘発させているわけだ。路上で全く知らない人から殺される危険性は幸い、非常に少ない。だから、名探偵モンクも犯人を見つけ出すことができるわけだ。

動物は自分の生存が脅かされない限り、他の動物を殺さないといわれている。人間だけが自身の感情や思想から人を殺す。「人間は万物の霊長」と呼ばれて久しいが、人はその地位を誇ることができるだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年8月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。